84年5月8日、新宿・京王プラザホテルにおいて新間寿がセッティングした新日本プロレスとUWFの業務提携発表という建前の、UWFが事実上新日本プロレスに吸収合併される案の記者会見は新日本プロレスから坂口副社長、永里高平専務、UWFからは浦田昇社長が出席し重苦しい中行われました。
しかし「猪木がUWFのリングに上がる為の支度金」として新間に2,500万円を貸している浦田社長にとっては筋の通らない話であり、到底承服出来る内容ではなく会見は物別れに終わりました。
5月21日、新間は「猪木をUWFに連れて来られなかった責任を取って」UWFからの退陣を発表。ハワイで強化合宿をしていた前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬ら所属選手は「浦田社長を男にすべく」新日本プロレスへの出戻りを拒否。
UWFに残留を決意し団体は存続が決定。新間を恩人と仰ぐグラン浜田だけはUWFを去りましたが、マッハ隼人を加えた4人は引続きUWFのリングで闘っていくことを決意しました。
UWFでは6月17日、後楽園ホールから「オープニング・シリーズ第2弾」の開催を予定。前回の旗揚げオープニング・シリーズ同様、新間が馬場に依頼してトミー・リッチ、キングコング・バンディ、ジャイアント・キマラ(カマラ)らの来日が発表されていましたが、新間の退陣と準備不足からシリーズは中止、外国人選手は来日キャンセルとなっています。
5月24日、かねてより病気療養中だったWWFの大プロモーター、ビンス・マクマホン・シニアが食道癌のため69歳でフロリダ州の病院で死去。
息子のビンスはビンス・シニア存命中からWWFの運営会社であるキャピタル・レスリング・コーポレーションの株式をビンス・シニア、キャピタル社の共同オーナーであるゴリラ・モンスーン、フィル・ザコ(フィラデルフィアのプロモーター)の持っていた株式を妻のリンダと共に全部買収し、後継法人としてコネチカット州スタンフォードにタイタン・スポーツ社を登記していました。
併せて、AWAで活躍していたハルク・ホーガンを引き抜き、1月23日MSGでホーガンはアイアン・シークを8分52秒、ギロチンドロップからの体固めで破りWWF世界ヘビー級王座を獲得。それと同時にNWA、AWAのテリトリーに興行戦争を仕掛けました。
興行戦争だけにはとどまらず、7月にはNWAジョージアの株式の過半数を所有していたジャック&ジェリーのブリスコから同社の株式を買収、議決権を有する筆頭株主になっており、ジョージア地区のケーブルテレビにおけるプロレス中継はWWFの中継となりました。
また、スチュ・ハートが経営していた新日本プロレスと親密関係にあったカナダ・カルガリーのスタンビート・レスリングの株式をも買収。全米制圧に乗り出しました。
同時に新日本プロレスとの関係もビンスが交渉の相手方になり、長年ビンス・シニア夫妻と懇意だった新間の退職で微妙なものになっていました。
再び話を国内に戻すと自力飛行を決めたUWFには6月27日、九段下のホテル・グランドパレスで新日本プロレスから藤原喜明、高田伸彦が移籍を発表。
翌6月28日には世田谷区用賀の道場で第1回の新人入門テストが行われています。
7月23、24日の両日に亘り後楽園ホールで「無限大記念日」を開催。前年8月、新日本プロレスから引退表明をして自らマスクを脱いで佐山聡の素顔を明かした初代タイガーマスクがザ・タイガーとして参戦、2月9日、大阪府立体育会館での試合を最後に新日本プロレスを退団、佐山が経営するタイガージムでインストラクターをしていた山崎一夫も参戦。
外国人選手はラッシャー木村と剛竜馬がカナダのモントリオール周辺のマリタイム地区から招聘。メキシコにルートを持っていたマッハ隼人のルートでメキシカンも招聘しました。
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