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2019年03月13日22:08

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ジャンボ鶴田怪物伝説(459)

84年6月22日、東京・永田町のキャピトル東急ホテルにおいて馬場と新日本プロレス興行の代表取締役務める大塚直樹が出席して記者会見が行われ、全日本プロレスと新日本プロレス興行が業務提携をすることで合意。

提携第1弾として8月26日、田園コロシアム大会を新日本プロレス興行の主催で開催することが発表されました。

馬場は「ウチは選手も一流、試合内容も一流、だけど営業面が弱い。大塚社長の力を借りて営業面の強化を図りたい」と笑顔でコメント。

大塚社長は「馬場さんからお声をかけて頂き、全日本プロレスさんの興行を買わせて頂くことになりました。第1弾となる田園コロシアム大会は超満員にしてみせます」と自信たっぷりにコメントしています。

記者から大塚社長に「新日本プロレスとの関係は問題ないのか?」という質問が飛ぶと、大塚社長は「ウチは『新日本』という名前はついているが資本関係はなく、独立した会社。先日も全日本女子プロレスさんの興行を買っています。(84年4月1日、後楽園ホールのミミ萩原引退興行)問題はない。新日本プロレスさんの興行も今後も買っていきます。」と新日本プロレスの子会社ではないことを強調しました。

新日本プロレス興行は前83年8月25日に起きた猪木のブラジルでの個人事業「アントンハイセル」に新日本プロレスの営業収入が流用されているのでは?という疑惑からの社内クーデターにより、当時営業部長だった大塚が改革派にいたことで、大塚は年末に営業次長だった加藤一良、元新日本のプロレスラーで営業部員をしていた伊藤正治らと共に独立。猪木が72年に新日本プロレスを旗揚げした時に登記していた「新日本プロレス興行」の名義を譲渡されました。

大塚社長は「資本関係はない」と言っていたことから株式は大塚社長が退職金代わりに取得していたことは想像に難くありません。

新日本プロレス興行(以下、新日本興行)は1月6日の新春黄金シリーズ後楽園ホール大会を皮切りに新日本プロレスの興行を年間50大会開催することで合意。これまで新日本プロレスがあまり行って来なかった土日の後楽園ホール大会などを開催しています。

しかし1月14日に東京・新宿京王プラザホテルで行われた新日本興行の設立パーティーに猪木は姿を現さず。

過激な仕掛人、新間寿の兵隊だった大塚ら過激な営業軍団は3月21日、83年12月にオープンしたばかりのこの時点では国内最大収容規模を誇る室内多目的ホール(16,000人収容)、大阪城ホールを押さえ、新日本プロレスの興行開催を決めましたが、新日本プロレス側が提供したカードは猪木&坂口組vsディック・マードック&アドリアン・アドニス組、藤原喜明vs長州、藤波vs谷津嘉章と言った「中の上」カード。しかもノーテレビでした。

2月3日、札幌中島体育センターでした試合前の長州を襲撃して「テロリスト」としてオーバーした藤原と長州の遺恨試合はありましたが、蔵前国技館の1.5倍のキャパを誇る大阪城ホールを満員に出来るカードではありません。

観客は11,500人発表(翌日の東スポには9,500人と発表されたが週刊プロレス等のプロレス熱戦譜では11,500人に「上方修正」されています)と満員とは成らず。

新日本興行からすればカードの悪さが集客に繋がらなかったと不満の声が上がりそうですが、新日本プロレス側から見れば元営業部長の会社とは言え、新参プロモーターに過ぎず、古くから新日本プロレスの興行を買っている東海地区の共同企画、神戸の新日企画(星野勘太郎の実兄が代表)、岡山・高松の瀬戸内プロ企画、広島のダイサンエージェンシー、東北の三浦省吾氏ら古参プロモーター達の顔色を伺ったとも考えられ、一概に新日本プロレスの対応が悪かったとは言い切れません。

新日本興行としては年間50大会の興行開催の約束を新日本プロレスから取り付けてはいるものの猪木のことだからいつ手のひらを返して来るかわからず、全日本プロレスからのオファーを受けたものと思われます。

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