84年グランド・チャンピオン・カーニバルPART�気妊縫奪�・ボックウィンクル、グレッグ・ガニア、ジム・ブランゼルを相手にAWA世界ヘビー級王座の防衛に成功した鶴田はシリーズ終了後の4月28日から2週間に亘り、世界王者として2度目の北米サーキットを敢行しました。
4月28日の第1戦はカリフォルニア州サンフランシスコのプロレスの殿堂、カウパレス大会(観衆18,000人発表)。
鶴田は前王者であるニックの3度目のリターンマッチを受けました。鶴田がニックをコブラツイストに捉えましたが、ニックはロープを掴んで巧みに逃げ、両者もつれて場外へ。
18分12秒、両者リングアウトの引き分けとなり、鶴田が8度目のタイトル防衛を果たしました。
セミファイナルはかつての大ヒールが齢を取ってベビーフェイスに転向していたクラッシャー・リソワスキー、マッドドッグ・バション、バロン・フォン・ラシク組vs現在のヒールチームであるミスター・サイトー(マサ齋藤)、ジェシー・ベンチュラ、ボビー・ヒーナン組によるケージ(金網)マッチによる6人タッグマッチ。
ベテラン軍というか、当時はレジェンドという言葉が一般的ではなかったですが、レジェンド軍は貫禄の試合運びで彼等から見たら若造を圧倒。非力なプレーイング・マネージャーのヒーナンが狙われ、10分46秒、リソワスキーがヒーナンを体固めに決めてレジェンド軍の勝利。
新日本プロレスのリングに別々に来日したことがあるスティーブ・カーン&スタン(スタンリー)・レーンのザ・ファビュラス・ワンズがセミ前に登場、ジェリー(クラッシャー)・ブラックウェル、シーク・アドナン・アル・ケーシー組と対戦。
こちらも非力なプレイング・マネージャー、ケーシーが狙い打ちされ、僅か4分44秒でSカーンがケーシーを体固めでファビュラス・ワンズの勝利となりました。
ブラックジャック・マリガンは5月の新日本プロレス、IWGPに来日が決まっているケン・パテラを10分12秒、体固めで破っています。
サイトーとパテラは一緒に新日本プロレスのIWGPに参加が決定していますが、ウィスコンシン州で起きたパテラとサイトーによる警察官暴行事件は既に4月6日に起きていました。酔っ払ったパテラが深夜に閉店したマクドナルドの店を開けろと騒ぎ出し、駆けつけた警察官が押さえにかかり、一緒にいたサイトーが巻き込まれて警察官を殴ってしまったものでした。
先日18年12月6日に82歳で亡くなった北海の獅子王ラリー・ヘニングはラリー・ズビスコとシングルで対戦。当時48歳とやはりレジェンドの域に達していましたが、若いズビスコを相手に20分時間切れ引き分け。
第1試合はジェリー・モンティ(70年8月の日本プロレスサマー・シリーズに初来日のアブドーラ・ザ・ブッチャーと初来日、73年4月、日本プロレス最後のアイアン・クロー・シリーズには何故か赤覆面のマスクマンに変身、ゲーリー・モンティとして再来日、4月17日、後楽園ホールでキラー・カール・クラップと組んでグレート小鹿、松岡厳鉄組の日本プロレス最後のアジア・タッグ選手権試合を行い2−1で敗退、79年3月、国際プロレスのスーパー・ファイト・シリーズにアラビアン・ギミックのクレージー・アラブとして来日)が未来日のボブ・アドニスを8分42秒、体固めで降しています。
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