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2018年11月24日09:45

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ジャンボ鶴田怪物伝説(413)

そもそも、大木金太郎の保持していたインターナショナル王座をNWAが「返上しろ」と「勧告」する筋合いは全くありません。

力道山が保持していた58年8月27日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでルー・テーズを降して奪取したインターナショナル王座は「テーズの936連勝」を記念してNWAから寄贈されたタイトルで、言わばテーズの個人所有ベルト。とはいえ、NWAが認可したものですから、そういった意味ではNWAが絡んでいると言えます。ベルトは力道山死後、百田家に保管されています。(ベルト本体は力道山が個人で製作)

しかし、65年に復活し、馬場が巻いていたインターナショナル王座は、日本プロレスリング・コミッショナー認定によるタイトルであり、この時点で日本プロレスはNWAに非加盟。

67年8月に現役NWA世界ヘビー級王者だったジン・キニスキーが日本プロレスに参戦、この年日本プロレスはNWAに加盟(NWAは個人加盟であり、芳の里社長と遠藤幸吉取締役がメンバーであった)。この時日本プロレスが管理していたインターナショナル王座、同タッグ王座、アジア・ヘビー級王座、同タッグ王座をNWA認可タイトルにした事実はありませんでした。(インターナショナル・タッグ王座は当初WWAが認定、68年にWWAがNWAに吸収合併された為、NWA認可と見做すことも出来る)

71年3月にロサンゼルスで猪木がジョン・トロスを破って獲得したUN王座だけはタイトル誕生の経緯からNWAの認可タイトルと考えるのが普通かと思われます。

日本プロレスリング・コミッショナーが日本プロレスの崩壊に伴い消滅した為、大木のインターナショナル王座は認定団体のない個人所有のベルトとなっていました。

もし、インターナショナル王座がNWA認可タイトルであり、馬場が大木が保持していることを不快に思って、一日も早く取り戻したい、と考えていればもっと早期に大木からベルトを取り上げることが考えられる訳で、このタイミングでの返上勧告は、やはり馬場と大木との間で「商談成立」したと考えるのが順当でしょう。

馬場はインターナショナル王座を大木から取り上げたバーターとして77年10月29日、黒磯市公会堂でのPWF、アジア両ヘビー級タイトルマッチで大木に勝って獲得して以来、一度も防衛戦を行わず封印していたアジア・ヘビー級王座を大木に「返還」しています。

当時、ファンからは「インターの見返りにアジアを返すなんて、タイトルをないがしろにしている」と言う声が強かったですが、確かにその通りでタイトルやベルトの権威をプロモーターである馬場自ら軽いものにしている印象を受けました。

いずれにしろ、馬場は72年9月に返上した自分の愛着のあるインターナショナル王座のベルトを実に8年7か月ぶりに取り戻した訳ですから、凄い執念と言えます。また、何かあると外国人プロモーターに高い金を払って「NWAが…」と何でもNWAの権威を利用しているのも馬場の常套手段でした。

大木は81年4月13日に韓国から日本にやって来てインターナショナル王座のベルトを返上していきました。

復活インターナショナル・ヘビー級(ここで正式に「ヘビー級」がタイトル名に付く)王座決定トーナメントは第9回チャンピオン・カーニバルのシリーズ終盤1週間を「インター・チャンピオン・シリーズ」として開催されました。(4月24日横浜文化体育館〜30日松戸市運動公園体育館)

トーナメント参加選手はチャンピオン・カーニバルのリーグ戦上位7人(馬場、鶴田、タイガー戸口、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ブルーザー・ブロディ、ジャック・ブリスコ、キラー・ブルックス)にNWA本部推薦のドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンクの9人。当初は前王者である大木にも出場権が与えられていましたが、自分が嫌々返上させられたベルトの新王者決定トーナメントには馬鹿らしくて参加出来なかったか、大木は棄権しています。

決勝にはドリーとブロディが残り、4月30日、松戸市運動公園体育館で王座決定戦が行われる予定でしたが、ブロディが足を負傷して棄権。立会人として来日していたジム・クロケット・ジュニアの裁定によりドリーが不戦勝で新王者に認定されました。(第10代王者)

松戸大会はドリーの初防衛戦に変更され、ブロディを除く8選手で挑戦者を決める抽選が行われ、何と実弟のテリーが挑戦権を引き当て、史上初の兄弟対決が実現。

54分、ドリーがエビ固めでテリーをフォールし初防衛に成功しましたが正直退屈な試合でした。 

10月9日、蔵前国技館でドリーはブロディに反則負けでベルトを失いましたが、11月1日、後楽園ホールで反則勝ちですぐに王座奪回。

その後アメリカでハックソー・ブッチ・リード、ビル・ロビンソン、ハーリー・レイスと防衛し、82年4月17日、大分県立荷揚町体育館でテッド・デビアスを破り防衛を果たしましたが、4月21日、大阪府立体育会館でブロディに15分15秒、フォール負け。

以後はブロディ時代となり13代王者のブロディは馬場、鶴田、天龍、ドリー、天龍、ドリー、テリー、鶴田(3回)と防衛を続け、鶴田はブロディのインターナショナル・ヘビー級王座獲得に専念する為に通算6年10か月保持して来たUNヘビー級王座を返上。

83年8月31日、蔵前国技館で鶴田は21分13秒、リングアウトでブロディを破り念願のインターナショナル・ヘビー級王座を獲得、ブロディ、スティーブ・オルソノスキー、ニック・ボックウィンクル(2回、AWA世界ヘビー級王座とのダブルタイトル戦)と防衛してきました。

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