mixiユーザー(id:21258650)

2018年11月19日10:42

1042 view

ジャンボ鶴田怪物伝説(408)

インターナショナル・タッグ王座は、日本プロレス最後のシリーズとなったアイアン・クロー・シリーズの73年4月18日、焼津市体育館でフリッツ・フォン・エリック、キラー・カール・クラップの「爪コンビ」が大木金太郎、上田馬之助組を2−1で破り王座獲得。

前回書きましたように日本プロレスはこの2日後の4月20日、群馬県吉井町体育館での興行を最後に興行活動を停止。

ベルトを持ち帰ったエリックとクラップは帰国後チームを解散、片割れのクラップはカール・フォン・スタイガー(サイクロン・ニグロ説もあり)をパートナーに王座を保持していたが73年5月26日、テキサス州アマリロでザ・ファンクスに敗れ王座転落。

というのが「正史」となっていますが、エリックとクラップはこの時期アメリカで一緒に試合をしていた裏は取れず、門茂男氏の連載小説「獅子と龍」によると「インタータッグのベルトはエリックとクラップが日本に置いていった」旨の記述もあることから、馬場から日本プロレスの残党を引き取るに当たり、インターナショナル・タッグ王座のベルトの権利を寄越せ、と打診があり芳の里社長がこれに応じたと思われます。

そしてベルトはファンクスに預け、愛弟子鶴田と自分のタッグでそのベルトを再び自分の腰に巻くという計画が立てられた訳です。

クラップ、スタイガー(ニグロ)組からファンクスへのベルト移動はフィクションではなかったかと思われ、ベルトは馬場によりファンクスの手に。

8月9日にはテキサス州アマリロでアメリカ修行中の鶴田友美、同じくこの年の1月にアマリロでデビューしたスタン・ハンセンがタッグを結成しファンクスのインターナショナル・タッグ王座に挑戦。2−1で敗れています。

8月29日、テキサス州ルボックでキラー・カール・コックス、ニグロ組に一度はベルトを奪われますが9月26日同じくルボックでファンクスが勝ちベルトを奪回。

ファンクスは10月の全日本プロレス、創立1周年記念ジャイアント・シリーズにインターナショナル・タッグ王者チームとして来日が決定。10月9日、蔵前国技館で馬場、凱旋帰国の鶴田友美組の挑戦を受けることが決まっていました。

この大会開催にもひと悶着ありました。全日本プロレスはこの時蔵前国技館初開催。全日本プロレスは旗揚げ時より日大講堂を東京のビッグマッチのメイン会場として使用。これは大学駅伝大会を後援していた日本テレビ、読売新聞社と日本大学の関係から日大講堂を通常の半額の料金で使用出来たからでした。

全日本プロレス旗揚げ以来の日大講堂でのビッグマッチの観客動員は以下の通り。
1.72年10月22日、馬場vsブルーノ・サンマルチノ世界ヘビー級王座争覇第1戦。(6,100人発表)
2.73年1月24日、馬場vsドン・レオ・ジョナサン世界ヘビー級王座争覇第7戦。(5,400人発表)
3.73年2月27日、馬場vsボボ・ブラジル世界ヘビー級王座争覇最終戦。(5,200人発表) 
4.73年4月25日、馬場vsザ・シークPWF世界ヘビー級選手権試合。(6,300人発表)  
5.73年9月13日、馬場vsハーリー・レイスPWF世界ヘビー級選手権試合。(4,500人発表)

意外にも、観客は入っていません。理由は大きく3つ。�|�木、馬場が相次いで日本プロレスを離れた為、男子団体は国際プロレスも入れると4団体(日本プロレス崩壊迄)、馬場、猪木、坂口、大木が今までは1枚のチケットで見られたものが、3枚買わないと見られなくなったこと。自ずと「テレビで見ればいいや」となる。 

��馬場以外のメインイベンタークラスの日本人選手がいない。助っ人として全日本プロレスの一員となったザ・デストロイヤー、国際プロレスから移籍して来たサンダー杉山はいたが手薄の感は否めず。(これは猪木の新日本プロレスも同様、坂口征二の加入による二枚看板となるまでは苦戦を強いられた)これに関しては馬場は鶴田の帰国をじっと待っていました。

�G肋譴搬臺�外国人選手の対戦が日本プロレス時代と変わっておらず、新鮮味に欠けたこと。日本プロレスの焼き直しではもはやファンを満足させられなくなっていた。

などがあげられます。
10 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年11月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930