馬場、鶴田、天龍北米サーキット第5弾は84年3月11日、ウィスコンシン州グリーンベイ・ブラウン・カウンティアリーナ大会(テレビ収録、観衆6,500人発表)。
メインイベントは鶴田のAWA世界ヘビー級王座に日本ではUNヘビー級王座を賭けて何回も60分フルタイムの激闘を展開している人間風車ビル・ロビンソンが挑戦。
前に書きましたが、ロビンソンの全日本プロレス参戦は82年3月の第10回チャンピオン・カーニバルがこの時点では最後、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディが中心となり、83年にはテリー・ファンク引退ツアーを行っていた全日本マットからはお呼びがかからず。
試合はプロモーター、バーン・ガニアの好みに合うようなジックリしたレスリングの攻防が展開され、ロビンソンは鶴田を逆エビ固めに捕えんと鶴田の両足を執拗に取りにいきました。
この動きを呼んでいた鶴田は冷静にロビンソンの一瞬の隙をついての逆さ押さえ込み、19分47秒、カウント3が入り鶴田が3度目のタイトル防衛に成功しています。
このフィニッシュの文面を見て気づいた方はいると思いますが、ある大試合のフィニッシュに酷似しています。75年12月11日、新日本プロレス蔵前国技館で行われた猪木vsロビンソンのNWF世界ヘビー級選手権試合の1本目(42分53秒、勝者はロビンソン)。
全く同じではありませんがよく似た展開。鶴田はおそらく猪木vsロビンソンのフィニッシュなど見ていなく知らないと思われますが。ロビンソンが忘れているはずもなく、これまで両者の大方の試合が時間切れ引き分けであり、鶴田に「一本負け」するに当たり、過去の猪木戦から「不意を突かれた」負け方を提案したと思われます。
セミファイナルはケン・パテラ、ジェリー(クラッシャー)・ブラックウェル組のAWA世界タッグ王座にグレッグ・ガニア、ジム・ブランゼル組のザ・ハイフライヤーズが挑戦。
10分24秒、パテラがGガニアをオーバーザ・トップロープで投げて反則負け。ヒール王者チームは連日ノラリクラリした防衛を続けていきます。
馬場、天龍組はロジャー・カービー(素顔でも73年5月、79年7月に全日本に来日、マスクマンのザ・クルーザーとして80年8月に来日)、スティーブ・リーガル組と対戦。馬場、天龍にとってはシカゴ大会に続き外国人組が軽量であった為、問題にせず8分25秒、馬場がカービーを16文キックからの片エビ固めで快勝。
NWAから特別出場のハーリー・レイスはニック・ボックウィンクルとタッグを結成。この年の11月の世界最強タッグ決定リーグ戦でチームを組んで参加し、その貫禄で強い存在感を放った元世界王者コンビがここで実現していました。
レイスは60年代にAWAでキャリアを積み、ラリー・へニングとのタッグでAWA世界タッグ王座を長く保持しており久々の里帰り。
レイス、ニック組はブラックジャック・マリガン、ブラックジャック・ランザ組のザ・ブラックジャックスと対戦、13分50秒、ニックがランザを体固めに決めての勝利。
ミスター・サイトー(マサ齋藤)、ジェシー・ベンチュラ組は大ベテランのクラッシャー・リソワスキー、バロン・フォン・ラシク組と対戦、11分51秒、ベンチュラがリソワスキーを体固め。
AWAの若手新進気鋭タッグ、スティーブ・オルソノスキー、"ロックンロール"バック・ズモフ組はクリス・マルコフ、トーマス・ストーン(T・Gストーンとして翌85年2月に全日本に来日)組と対戦、11分58秒、ズモフがストーンを体固めに決めてオルソノスキー、ズモフ組が勝利を飾りました。
マルコフは日本では69年の日本プロレス、第11回ワールド・リーグ戦で決勝に進出、猪木のライバルとして知られ、71年8月2日、福岡スポーツセンターでは馬場のインターナショナル王座、全日本プロレス74年12月12日、川崎市体育館では馬場のPWFヘビー級王座、新日本プロレス78年11月1日、愛知県体育館では猪木のNWFヘビー級王座に挑んだ実績がありましたが、アメリカでは前座レスラーでした。
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