84年3月8日には、新団体UWF(ユニバーサル・プロレスリング株式会社)の団体設立と事務所開きが行われ、4月11日、大宮スケートセンターで旗揚げ戦が行われることが発表されました。
UWFは前83年8月、新日本プロレスで起きた新日本プロレスの興行収入を猪木の個人事業であるアントンハイセルに流用した疑惑から、山本小鉄、大塚博美、望月正治(小鉄以外はテレビ朝日からの出向)らの改革派が起こした社内クーデターの責任を取って退職した新間寿元専務取締役営業本部長が猪木の密命を受けて作った第3団体でした。(クーデターはテレ朝の三浦甲子二専務の鶴の一声で終結)
これにより、81年8月の国際プロレス崩壊により2年8か月続いて来た全日本プロレスと新日本プロレスの男子2団体時代(全日本女子プロレスは除外)は終わりを告げました。
旗揚げに際し、新間はフジテレビと接触し猪木、長州、前年引退表明をしたタイガーマスク(佐山聡)他WWF系大物外国人選手が参加するという企画書を番組制作会社を通して提出。
フジテレビはこれに関心を示し、84年3月末を持って終了する時代劇「銭形平次」(大川橋蔵主演)の後番組として「スポーツスクランブル」なる番組の中でプロレス中継を取り上げるという話となりました。
これは元々猪木が、火の車と化したアントンハイセルの資金繰りの為に、日本プロレス時代、従来の日本テレビに加え、69年、後発のNET(テレビ朝日)の放送が開始され、地上波2局放映開始で莫大な放映権料が日本プロレスに入り、我が世の春を謳歌していたことの「二匹目の泥鰌」を狙ってテレ朝とフジテレビの2局放映を画策したものでした。
しかし、猪木の動きをテレ朝が察知し「もしフジテレビの画面に猪木が登場するようなことがあれば、放送を打ち切る」と通告。慌てた猪木はUWFのリングには上がらないこととなり、フジテレビは「それは話が違う」とばかりUWFの放送を見送り。
新間はフジテレビの放送の話がダメになり、猪木にも「行かない」と言われて四面楚歌となった状態でUWFの事務所開きを行っています。
UWFの旗揚げオープニング・シリーズのポスター中央には新間の写真を中央に持って来て、「私はプロレス界に万里の長城を築く」、「私は既に数十人のレスラーを確保した」というキャッチコピーのもと、参加予定選手として猪木、長州、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン、ディック・マードックらのレスラーの顔が並びました。
新日本プロレスからよくクレームがつかなかったと思いますが、団体設立の経緯から見て新日本にも負い目があったのは明らかでした。
オープニング・シリーズには新間と親密関係にあったメキシコUWAからペーロ・アグアヨ、ロス・ミシオネロス・デ・ラ・ムエルテ(エル・シグノ&エル・テハノ&ネグロ・ナバーロ)、マノ・ネグラのルチャドールの参加が早々と決定。
アメリカ勢はダッチ・マンテル、ボブ・スウィータン、スコット・ケーシー、ビニー・バレンチノの参加が決まりましたが、これをブッキングしたのは馬場と言われていました。
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