84年全日本プロレスエキサイト・シリーズ、2月26日、大阪府立体育会館大会その他の試合はどうだったでしょうか?
セミファイナルではNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者チャボ・ゲレロに3日前の蔵前国技館で足4の字固めの前にギブアップはしなかったものの、無念のレフェリーストップ負けを喫してしまったマイティ井上が地元大阪での再挑戦。
王者チャボは蔵前での試合で痛めたM井上の左膝を集中攻撃。M井上もフライング・ショルダーアタック、サマーソルトドロップなど得意技で反撃しましたが膝へのダメージからか、決め手とは成らず。
チャボは再びM井上の足に照準を絞ると足4の字固めの体制へ。しかしこれを冷静に見ていたM井上はチャボが足4の字固めに入る時にスピニング・トーホールド気味に足を取りに来て、一瞬チャボの頭が下がったところを下から首固めに丸め込んでカウント3。
15分16秒、M井上が蔵前でのリベンジに成功し、王座獲得。難攻不落の王者チャボがついに陥落、地元大阪のファンの期待に応えました。
M井上のシングル王座獲得は国際プロレス時代の74年10月7日、越谷市体育館でスーパースター・ビリー・グラハムを破り団体の看板ベルトであるIWA世界ヘビー級王座を獲得して以来実に9年5か月ぶりでした。
セミ前は馬場、新UNヘビー級王者となった天龍組vsブルーザー・ブロディ、アレックス・スミルノフ組。このシリーズ馬場にシングルマッチで僅か4分20秒でフォール負けし、スミルノフの元気のなさが気になりましたが、
2月28日、豊橋市体育館では馬場、鶴田組の保持するインターナショナル・タッグ王座に挑むブロディ、スミルノフ組はここで負ける訳にはいかず、10分34秒、両チームリングアウトの引き分けに持ち込みました。
23日の蔵前では天龍とのUNヘビー級王座決定戦に敗れてしまったリッキー・スティムボートはジェリー・モローとのシングルマッチ。モローのヘッドバットを交えたラフファイトに思いのほか苦戦し19分49秒、ダイビング・ボディアタックからの片エビ固めで辛勝しています。
新アジア・タッグ王者チームとなった阿修羅・原、石川敬士組はスーパー・デストロイヤー1&2号と初防衛戦。
原とSデストロイヤー1号と言えば、国際プロレスの末期の80年秋、ヘビー級戦士のメインイベンターとして団体を背負うべく、オクラホマ、ルイジアナのMSWA(ビル・ワット主宰、後の米国版UWF)に修行に出た時に対戦。
原はSデストロイヤー1号が使っていた雪崩式ブレーンバスター(スーパープレックス)を見て、帰国したらこの技をフィニッシュで使おうと考え、81年4月、東京12チャンネルレギュラー放送打ち切り後に凱旋帰国。
帰国した原は公開練習で雪崩式ブレーンバスターを披露。この写真が東スポに載りました。
これを見ていたのが新日本プロレスの木村健吾で、木村は原の凱旋マッチとなる4月18日、後楽園ホールの前日の4月17日、鹿児島県立体育館での藤波とのIWGPアジア・ゾーン予選でちゃっかりパクリ使用。
しかし藤波にこれを読まれ、空中で身体を反転されて押し潰されて15分35秒にフォール負け。やはり人を出し抜こうとすると神様はちゃんと見ているということでした。
原は翌4月18日、後楽園ホールでの「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」開幕戦でスティーブ・オルソノスキーと凱旋マッチを行い、無事に雪崩式ブレーンバスターを成功させて勝利を飾りました。
雪崩式ブレーンバスターの元祖Sデストロイヤー1号と原の対決は82年の世界最強タッグ決定リーグ戦以来でしたが見ごたえのある攻防となりました。
しかし、どちらかと言えば急造タッグに近い原、石川組と実の兄弟であるSデストロイヤー組とではコンビネーションに差があり、試合は一進一退の攻防に。
Sデストロイヤー2号のラリアットは石川がかわして同士討ち、石川がすかさずトップロープに登ってのダイビング・ボディアタックから1号を体固め。13分、原、石川組が初防衛に成功しています。
チームリーダーの原は「コンビネーションはもう一つだったけど何とか勝つことが出来ました」とコメント。原、石川組はまだまだ発展途上チームと言えました。
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