84年2月23日、蔵前国技館(テレビ収録、観衆12,500人超満員発表)は急遽、2月10日に急死したデビット・フォン・エリック追悼興行として行われました。
メインイベントはAWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクルvsインターナショナル・ヘビー級王者鶴田のダブル・タイトルマッチ。特別レフェリーはテリー・ファンク、役者が揃いました。(サブレフェリーはジョー樋口)
この試合は両者リングアウトなしのルールで行われました。黄色いタイツに白いタオルを首からかけたニック、黒のタイツに黒いジャンパーの鶴田。
試合はゴングが鳴ると同時に珍しく受けのスタイルのニックが攻勢に出ます。フライング・ボディアタックの奇襲をかけていきました。両リン決着がないことと、力道山、馬場、鶴田と受け継がれた日本プロレス界の至宝、インターナショナル・ヘビー級王者に自らの名前を刻んでおきたいか?
大木金太郎が保持していた72年12月から、81年4月まで8年5か月のブランクはありますが、58年の初代王者ルー・テーズから26年の歴史と伝統のあるベルト。
これまで外国人で同王座に就いたのはテーズ、ボボ・ブラジル、ジン・キニスキー、ドリー・ファンク・ジュニア、ブルーザー・ブロディの5人のみ。
インターナショナル王座を長年管理していた日本プロレスとAWAを主戦場にしていたニックとはそれほど縁がなく、日本プロレスには64年8月と70年9月のNWAタッグ・リーグ戦の2回のみでした。力道山、馬場の流れを組む日本プロレスではアジア・タッグ以外のベルトに挑戦すらしたことがありません。
鶴田の先手を奪っての執拗な腕攻め。普段はノラリクラリした試合を見せることが多いニックにしては見違えるようなキビキビとした動きを見せています。鶴田の左腕を両足で挟み、自らのお尻を落としてのアームブリーカーからアームバー。
特別レフェリーのテリーはオレンジのフリル付シャツに茶色のベスト、茶色の蝶ネクタイとズボン。膝を故障しているテリーのレフェリングはお世辞にも上手いとは言えませんでした。
前半飛ばしたニックは49歳という年齢もあり攻め疲れか?15分過ぎから鶴田が反撃に転じます。コブラツイストで絞め上げておいてからドリルアホール・パイルドライバー、ジャンピング・ニーパット、ダブルアーム・スープレックスと攻勢に転じました。
両者もつれて場外へ出た時はレフェリーのテリーも一緒に場外へ転落。特に選手から何かされた訳でもないのに場外の柵へ頭から突っ込むパフォーマンスを見せています。
リングに先に上がっていたニックがエプロンの鶴田にロープ越しのブレーンバスター。しかし鶴田は空中店舗身体を反転させるとバックに回ってのバックドロップ、そのままブリッジして固めるバックドロップホールド。
サブレフェリーの樋口がアシストしながらテリーがゆっくりカウント。鶴田の完璧なブリッジによるホールドをニックは返すことが出来ず32分、カウント3が入りました。
鶴田がついに念願のAWA世界ヘビー級王座を獲得。同時にインターナショナル・ヘビー級王座の3度目の防衛をも果たしています。
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