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2018年10月30日23:40

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ジャンボ鶴田怪物伝説(389)

84年エキサイト・シリーズ開幕戦は2月10日、後楽園ホール(テレビ収録、観衆2,500人満員発表)で行われました。

インターネットのない時代でしたから、観客はデビット・フォン・エリックの若すぎる死のニュースを会場に着いて初めて知らされたか、東スポを購入して知ることになりました。

メインイベントは2月23日、蔵前国技館でのニック・ボックウィンクルとのAWA世界、インターナショナル両ヘビー級選手権試合を控える鶴田が調整試合とばかり、スーパー・デストロイヤー1号とシングルで対戦。

これを寄せ付けず8分52秒、バックドロップからの体固めで完勝し強さを見せつけています。

セミファイナルは馬場、天龍組vsブルーザー・ブロディ、スーパー・デストロイヤー2号組が行われ、荒れ狂うブロディが場外で馬場を捕らえて離さず、8分45秒に両チームリングアウトのドロー決着。

蔵前ではNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座を賭けて対戦するチャボ・ゲレロとマイティ井上がタッグでの前哨戦対決。

M井上、渕正信組とチャボ、ジェリー・モロー組の激突となり、10分49秒、チャボが得意のジャーマン・スープレックスホールドで渕を破り、前哨戦は王者組に軍配が上がりました。

アレックス・スミルノフはグレート小鹿とのシングル戦で6分41秒、レフェリーのブラインドを突いての凶器攻撃からの体固めで勝利。

初来日のトーマス・アイビーは越中詩郎と対戦、7分36秒にジャンピング・ニーアタックからの片エビ固めで勝ちましたが実力はまだ未知数でした。

25歳という若さで急死したデビット・フォン・エリックの日本での告別式が2月12日、東京・渋谷のキリスト教バプテスト会派教会でしめやかに行われ、馬場を始め、ブロディ、スミルノフら来日外国人も超党派で参列。

この模様は2月18日の日本テレビ、全日本プロレス中継の中でも流され、気難し屋で知られるブロディが業界でただ一人、信用していたとされるプロモーター、フリッツ・フォン・エリックの息子であるデビットの死を悼んで大粒の涙を流していたところが放送されています。

デビットの遺体は2月14日に成田・新東京国際空港からロサンゼルス経由で自宅のあるテキサス州ダラスへと運ばれました。

日本からは父フリッツから絶大なる信頼を受けていた外国人係のジョー樋口レフェリーが添乗しフリッツに遺体を引渡しました。

フリッツは日本プロレス時代の67年5月、当時まだ10歳だった長男(戸籍上は長男のジャック・ジュニアがいたが、幼少期に感電死しており次男)のケビン君(後に76年に20歳でプロレスラーになる)を連れて来日、外国人係だった樋口がきめ細かくケビン君の面倒を見ていました。その神対応ぶりにいたく感謝したとのこと。

フリッツはプロモーターとして配下のプロレスラーを日本にブッキングする時、「いいか、くれぐれもジョーにだけは迷惑かけるな」と一言言っていたそうです。

アメリカでの本葬は2月15日、ダラスのファースト・バプテスト教会で行われ、約2,000人のファン、関係者が参列しました。

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