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2018年10月26日23:15

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ジャンボ鶴田怪物伝説(385)

新UNヘビー級王者となったデビット・フォン・エリックは84年エキサイト・シリーズに参加する為に2月9日に来日。

宿舎である高輪東武ホテルで行われた記者会見では6日前の2月3日、テキサス州ダラス・スポーツアトリア厶でマイケル・ヘイズを破って獲得したUNヘビー級のベルトを前に「2月23日、蔵前国技館では天龍を倒す」とアピールしました。

しかし、これがデビットが公の場に姿を現した最後となってしまいました。

翌2月10日は後楽園ホールはエキサイト・シリーズの開幕戦。高輪東武ホテルは当時の全日本プロレスの外国人レスラーの常宿で、シリーズ参加の他の外国人レスラー達も宿泊しており、ロビーでの集合時間を過ぎてもデビットは部屋から出て来ず。

外国人係であったジョー樋口レフェリーがデビットの部屋のドアを開けて入ったところベッドの上で倒れているところを発見、既に死亡していました。享年25歳。

開幕戦の後楽園ホールにはデビット死亡の貼り紙が入口に貼られ、当日はデビットの追悼セレモニーが行われ10カウントの弔鐘が鳴らされました。

デビットの死は大きな衝撃を全米と日本のファンに与えました。死因は当初は内臓疾患と発表され、急性胃腸炎によるものとされました。

しかし、後になってデビットがコカインを常用していたことが判明、亡くなった時にも部屋にコカインが置かれており、樋口レフェリーと一緒にデビットの部屋に入ったブロディが目ざとくコカインを発見してトイレに流した、と言われています。

リック・フレアーの自伝「トゥー・ビー・ザ・マン」(05年エンターブレインより日本語版発売)によるとデビットは84年1月にNWA傘下プロモーター達の合意により、4月にはフレアーの後のNWA世界ヘビー級王者に内定していたそうです。

NWAのプロモーターの中でもテキサス州ダラスのフリッツ・フォン・エリックの「ワールド・クラス・レスリング」は当時エリック兄弟人気で集客力は高く勢いがありました。

その流れでエリック一家が一気にNWAで実権を握るかと思われましたが、デビットの急死で水泡に帰したことになり、これが「呪われたエリック一家」のトリガーとなり、まさにエリック一家に取っての「終わりの始まり」となってしまった訳であります。

日本で来日した外国人レスラーが「客死」したのは72年1月に日本プロレスに来日したルイス・ヘルナンデス(ジノ・ヘルナンデスの父親)以来、ルイスは42歳と当時では高齢にあたり、かなりの肥満状態でトレーニング不足が明らかな身体つきでした。

1月31日、西尾市体育館での上田馬之助戦(上田の反則負け)が最後の試合で翌2月1日、名古屋のホテルて心臓発作の為に亡くなっています。

デビットの死はそれ以来の悲しい出来事となってしまいました。
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