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2018年10月22日21:42

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ジャンボ鶴田怪物伝説(382)

超大物ジョニー・バレンタインにリングアウトながらもスコアの上では2−1で勝ち念願のUN王者となった高千穂明久でしたが、NETは73年3月30日を持って日本プロレスの中継を打ち切り。

奇しくも最後の日本プロレスリング中継は高千穂がバレンタインを破った3月8日、佐野市民会館からの録画中継でした。(セミファイナルは坂口、大木金太郎組vsキラー・カール・クラップ、ルーベン・ファーレス組)

翌週の4月6日からはワールドプロレスリングとして宇都宮スポーツセンターからの新日本プロレスの試合を生放送。(坂口vsプロフェッサー・バーン・ジール、猪木、柴田勝久組vsジャン・ウイルキンス、サイクロン・ソト組)

テレビを失った日本プロレスは選手会の自主興行として鉄の爪フリッツ・フォン・エリック、青銅の爪クラップらを招聘し4月13日に大阪府立体育会館で「アイアン・クロー・シリーズ」を開幕させました。

高千穂は4月19日、横浜文化体育館でクラップを破りUN王座を初防衛しましたが、翌4月20日、群馬県吉井町体育館で日本プロレスは力尽きて興行活動を停止。

この時日本プロレスに最後まで残っていた大木、上田馬之助、高千穂、グレート小鹿、松岡厳鉄、ミツ・ヒライ、桜田一男(ケンドー・ナガサキ)、羽田光男(ロッキー)、伊藤正男の9人の残党(当時海外にいた星野勘太郎、永源遙、安達勝治〈ミスター・ヒト〉、戸口正徳〈キム・ドク、タイガー〉、林牛之助〈ミスター〉らは除外)は百田家(力道山家)の百田敬子未亡人の仲介で馬場の全日本プロレスに合流が決定しました。

しかし、馬場と日本プロレス残党の大木との考えには大きな温度差がありました。

「対等合併と聞かされていた」(大木)、「潰れた会社が対等な訳がないだろう」(馬場)と最初から険悪ムード。

前72年10月に旗揚げした全日本プロレスは国際プロレスからサンダー杉山、肥後宗典(本郷篤)を金銭トレード、日本プロレスを退団していた藤井誠之、日本プロレスで70年に一度はデビューしながら一旦プロレス界から離れていた力道山二世の百田光雄を入団させ、それだけでは試合が組めなかったところから、鶴見五郎、デビル紫、米村勉(天心)らを借りて興行を開催。

日本人選手は不足状態でしたが、ザ・デストロイヤーの日本側からの参戦、ヒロ・マツダ、マティ鈴木といった在米フリー選手の助っ人参戦、さらには鶴田の入団で日本人選手の駒の目処が経ち、「日プロの残党なんて必要ないが百田家の仲介だから仕方ない」というスタンスを馬場はこの時貫きました。

それから3年、76年8月、全日本プロレスのリングでUNヘビー級王座が復活。8月28日、日大講堂でアメリカ代表、元NWA世界ヘビー級王者ジャック・ブリスコ、日本代表は8月14日、熊谷市民体育館で鶴田と、最後のUN王者だった高千穂が日本代表決定戦を行い、勝った方がブリスコと対戦ということになりました。

しかし、熊谷大会当日になって、高千穂が「鶴田に(王座決定戦出場権を)譲る」と表明。鶴田と高千穂の試合は予定通り行われましたが、通常のシングルマッチに変更されました。

このあたりは「日本代表決定戦」といくら謳ったところで自分が鶴田に勝つ訳にはいかないのでやっても無駄という高千穂なりの意地を見せた感じでした。

鶴田と高千穂の試合は鶴田が勝ち、日大講堂では鶴田とブリスコによる王座決定戦が行われ、1本目は11分9秒、鶴田がフロント・スープレックスから片エビ固め、2本目は6分19秒にブリスコが足4の字固め、決勝の3本目は5分34秒、足4の字狙いに来たブリスコを下からの首固めに丸め込み鶴田が2−1で勝ちシングル王座初戴冠。

前75年2月5日、テキサス州サンアントニオ・ミニュシバル・オーデトリアムで馬場と組み、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク組のザ・ファンクスを破って獲得したインターナショナル・タッグ王座と併せて「若き二冠王」となりました。

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