84年の全日本プロレスは恒例の1月2、3日、後楽園ホールの「新春ジャイアント・シリーズ」開幕2連戦の昼興行でスタート。
ちなみに前日の元日には新日本プロレスが新春黄金シリーズの開幕戦を同じ後楽園ホールで開催しており、3年連続の元日興行となりましたが、前83年は全日本プロレスは不動の2、3日昼興行で、新日本プロレスは元日と2日の夜に興行を開催。
2日昼の全日本プロレスの興行に夜興行を行う新日本プロレスの坂口征二副社長と新間寿営業本部長が馬場を表敬訪問しており、新年早々雪解けムードとなりましたが、この年は新日本の興行開催は元日のみで、ニアミスはありませんでした。
スティーブ・オルソノスキー、リスマルク、ジプシー・ジョー、ケリー・キニスキーの外国人選手がシリーズ全戦参加。
1月10日、室蘭市体育館から最終戦の1月22日、東村山市民スポーツセンターまでテリー・ゴディとマイケル・ヘイズのザ・ファビュラス・フリーバーズが特別参加しています。
やはり世界最強タッグ決定リーグ戦の後は、予算の関係か、外国人メンバーは落ちると言わざるを得ませんが、それでも初来日、もしくは全日本プロレス初参戦というフレッシュなメンバーが集結していました。
オルソノスキーは81年4月、東京12チャンネル(テレビ東京)、レギュラー放送打ち切り後の国際プロレスに初来日、4月18日、後楽園ホールの開幕戦ではミッドサウス地区からヘビー級戦士として凱旋帰国した阿修羅・原の帰国第1戦の相手を務め、原の新兵器、雪崩式ブレーンバスターの前にフォール負け。
シリーズのエース格はポール・エラリング(ザ・ロード・ウォリアーズのマネージャー)でしたが、エラリング、テリー・ラザン組がこのシリーズの5月4日、札幌中島体育センターで、アニマル浜口の肝炎による欠場から空位となったIWA世界タッグ王座を、ラッシャー木村、マイティ井上組を破って獲得。
シリーズ最終戦の5月16日、後楽園ホールでエラリング、ラザン組に原、M井上組が金網デスマッチで挑戦(原がリングロープを使ったスリーパーホールドでエラリングをギブアップさせて王座奪回)した為、この日R木村の持つIWA世界ヘビー級王座に挑戦。裏足4の字固めでギブアップ負けしておりますが、単発番組とは言えこの後楽園2大会はテレビ収録されています。
オルソノスキーはこの時の来日で4月26日、全日本プロレスの後楽園ホール大会に現れ、試合後にテリー・ファンクを介抱するためにリングに私服姿で登場、テレビのレギュラー放送が終了となり、経営危機が噂されていた国際プロレスだけに、このまま全日本へ移籍か?との憶測も飛び交いましたが、移籍とかそういうキナ臭い話ではなかったです。
帰国後はレスラーとしてのキャリアをスタートさせたAWAに戻り、各地を転戦した後、全日本に初参戦となった訳です。
フリーバーズが来るまでは、エース格としての扱いとなり、1月10日の室蘭市体育館では鶴田のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦が決定していました。
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