桜井さんはワールドプロレスリングの解説者として13年間活躍され、正式に番組内で卒業宣言をしないまま、番組からフェードアウトしていきました。
桜井さんのワールドプロレスリング解説者としての役割は、初期の新日本プロレスに来ていた二流三流の外国人レスラーに「下駄を履かせて」、世界のトップにいると見せかけることが主たるミッションであり、WWFとの提携路線で全日本プロレスに匹敵する豪華外国人メンバーを集めることが出来るようになった79年以降の新日本プロレスでは、もはや得体の知れない外国人レスラーの経歴や戦績を「盛る」必要もなくなったということでしょう。
桜井さんにとってのベストパートナーのアナウンサーは、やはり古舘伊知郎ではなく、舟橋慶一の方が噛み合っていたのは間違いなく、舟橋時代の解説者であったのではないかと思われます。
古舘アナは言葉の量も多く、自分が一通り喋ってから、解説者に話を振るパターンが多く、アナウンサーと解説者の「阿吽の呼吸」というものを重視していません。そんなところから桜井さんとはあまり波長は合っていないと私は感じました。
さて、桜井さんは東スポの取締役編集局長まで出世されました。役員です。東スポの2年先輩記者で日本テレビの全日本プロレス中継の解説をされていた山田隆さんは、定年を前に東スポを退職、98年に65歳で亡くなっていたことが週刊ゴング誌上で報じられています。
山田さんの東スポ退職は桜井さんとの出世争いに敗れたことも無関係ではないと言われ、「馬場についた山田さんと猪木についた桜井さんの宿命の差」だったと言えるでしょう。
リング下での派手な話題作りを嫌う馬場はニュースになりづらく、常にスキャンダルと派手な話題で紙面を賑わせていた猪木、新間寿のコンビの方が「東スポという世界」の中では売上に貢献したと思われます。
役員に昇進した桜井さんは表舞台に出る機会は少なくなりましたが、93年3月から、東スポ紙上で原康史のペンネームで「激録力道山」の連載を開始。
第1回ではカリフラワーアレイクラブに出席した力道山の孫で百田義浩の娘であるインターナショナルスクールに通う玲美さん(現プロレスリングノアのスタッフ)にスポットを当てています。
激録力道山は約4年に渡り連載され、単行本も全5巻、東スポから発売されています。
その続編として「激録馬場と猪木」の連載がスタート。
力道山時代よりも長い馬場、猪木時代のエピソードを綴ったこの作品は03年9月に桜井さんが東スポを退職されるまで連載されました。
連載では79年8月26日、日本武道館でのプロレス夢のオールスター戦のところまでで終わっており、多くのプロレスファンがその行方を固唾を飲んで展開を見ていた81年5月のアブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本プロレス移籍に伴う新日本プロレスと全日本プロレスの「レスリング・ウォー」については「また別の機会に書きたい」と書かれておりますが、この作品が桜井さんの絶筆となってしまいました。
東スポから「激録馬場と猪木」の単行本が発売されていますが、こちらの方は猪木vsモハメド・アリ戦までで終わっており全13巻が完結してしまっています。
10年に辰巳出版から発売されたGスピリッツの猪木50周年特集号で久しぶりに誌面に登場、最後にプロレスファンの前に登場したのは16年10月7日、後楽園ホールでの昭和プロレス、トークショーでした。
改めて故人のプロレス界における活躍を振り返り、「お疲れ様でした。ありがとうございました。」と感謝の言葉を桜井さんに贈り、本連載を終了したいと思います。
(完)
17年4月12日から連載を開始して来ました「ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼」は今回で終了させて頂きます。長い間のご愛読、本当にありがとうございました。
次回から「ジャンボ鶴田怪物伝説」84年編をお送り致します。AWA世界ヘビー級王座獲得、全米サーキット、荒牧保子さんとの結婚など、人生の大きなターニングポイントとなった84年を特集、合わせて、UWF誕生についても馬場、全日本プロレスサイドからの視点で書いていきたいと思います。お楽しみに!
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