ここまで書いて来まして、連載をはじめながら並行して検証していたのが、桜井さんはいつまで「ワールドプロレスリング」の解説をされていたのか?ということでした。
本日記では、桜井さんのテレビのプロレス中継のデビューはNET(テレビ朝日)でなく東京12チャンネル(テレビ東京)にて72年10月4日、新日本プロレス蔵前国技館でのカール・ゴッチvs猪木の世界ヘビー級選手権試合(録画放送)であったこととワールドプロレスリングの解説デビューが73年4月6日、宇都宮市スポーツセンターのNETが日本プロレスから新日本プロレスに鞍替えした第1週目からと言うことは書きました。
では、終わりはいつまでだったのか?79年3月1日の津市体育館大会から(3月2日放送)猪木の意向で「視聴者にレスラーの痛みとか、技の効果等を伝える為にはレスラーの解説者が必要」と当時まだ現役だった山本小鉄をレギュラー解説に起用。桜井さんはゲスト解説者となり、ビッグマッチに放送席に座る程度。
メイン実況である古舘伊知郎と小鉄のコンビが中心となり、桜井さんは第一線からは退いた感がありました。
84年7月に全国朝日放送株式会社(テレビ朝日の当時の法人名)から発売されたワールドプロレスリング放送開始15周年記念写真集「闘いのワンダーランド」では桜井さんは「プロレス解説を10年やると」という寄稿をしており、この時点では解説者をしています。
自分の記憶ではおそらく86年9月19日、福岡スポーツセンターでの「最後の金曜午後8時」まではやっていたんではないか、と思っていましたが、これがとんだ記憶違いでして、当日の高田伸彦vs越中詩郎のIWGPジュニア・ヘビー級選手権試合、藤波vsブルーザー・ブロディの映像をチェックしても桜井さんは出て来ません。
月曜日午後8時に放送時間が移行した第1弾となる86年10月13日の2時間特番、(10月9日、両国国技館での猪木vsレオン・スピンクス、前田vsドン・ナカヤ・ニールセンの2大異種格闘技戦の録画中継と後楽園ホールからの生中継、猪木vsスティーブ・ウイリアムス、藤波vs凱旋帰国の武藤敬司)では前田とニールセンの試合は小鉄がレフェリーをしており、もしやと思いましたが、藤波がゲスト解説をしています。
後楽園からの生中継では、ゲスト解説者として武藤のフロリダでのトレーナーを務めたヒロ・マツダが登場。アメリカから一時帰国していたマツダを登用したことで桜井さんは「金曜午後8時」の枠の時にワールドプロレスリング解説者を卒業していたと考えるのが順当かと。
そこで私が所有している86年1月〜9月までの試合映像を可能な限りで調べました。
桜井さんは、正式には番組の中で「卒業」を発表しておらず、自然とフェードアウトして行ったと思われます。
検証した結果、86年5月1日、両国国技館での新日本プロレスvsUWF5対5勝ち抜き戦、猪木、上田馬之助組vsアンドレ・ザ・ジャイアント、ショーグン・KYワカマツ組の放送(5月2、9日放送)が最後だろう、という結論に至りました。
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