新日本プロレス86年ニューウェーブ・ダッシュ最終戦は3月26日、東京体育館(テレビ収録)に11,640人、超満員札止めの大観衆を動員しました。
東京体育館は54年8月6日、ハンス・シュナーベル、ルー・ニューマンの爆撃機コンビが来日したプロレス国際試合第2弾で初使用されており、以来力道山時代からワールド・リーグ戦の優勝決定戦に多数使われていた他、
63年5月24日、ザ・デストロイヤーvs力道山のWWA世界ヘビー級選手権試合、64年12月4日、デストロイヤーvs豊登の同選手権、66年2月28日、馬場vsルー・テーズのインターナショナル選手権など日本プロレス史に残る多くのビッグマッチを開催。
猪木が新日本プロレスを旗揚げしてからは、73年12月10日、ジョニー・パワーズからNWF世界ヘビー級王座を獲得した試合他、80年2月8日、スタン・ハンセンに同王座を奪われた試合など、蔵前国技館ほどではないですが、名勝負を残して来ました。
馬場の全日本プロレスも82年2月4日、新日本プロレスから移籍して来たハンセンと馬場のPWFヘビー級王座を賭けた一戦の他、多くの大試合が行われています。
その東京体育館が老朽化に伴い建替えとなるところから、これが同所でのラスト興行となりました。(全日本プロレスは1月28日が同所ラスト興行)
猪木vs前田の一騎討ちが流れ、代わりに提供されたのが新日本vsUWF5対5イリミネーションマッチでした。時間無制限、10人タッグマッチ形式で対戦し、負けた選手が退場。また、オーバー・ザ・トップロープ(以下OTR)ルールが採用され、試合権利のある選手がトップロープを超えて場外に転落した段階で失格となり、最後まで残った選手のいるチームの勝利となります。
新日本プロレス側は猪木、藤波、木村健吾、上田馬之助、星野勘太郎組、UWFはもちろん、前田日明、藤原喜明、木戸修、高田伸彦、山崎一夫の5人のU戦士です。
先ず9分10秒、木村健が山崎の蹴りを捌いての逆さ押さえ込みで先勝。しかし、15分47秒(試合時間はトータルタイム)、藤原のアキレス腱固めで星野がギブアップし互いに4人残り。
次いで17分54秒、前田が木村健をトップロープ越しに場外へ投げてOTR勝ち。(当時の表記ではリングアウト勝ちと記録されている)、24分55秒、藤波と藤原が両者OTRで失格。
新日本プロレスが猪木、上田の2人残り、UWFが前田、木戸、高田の3人残り。警戒すべきは前田です。
前田が出てきたところで、これまで1回も試合に出ていない上田が登場、前田のハイキックを捉えると足を抱えて離さず自ら場外へ無理心中。27分31秒、両者OTRによる失格となりました。ドッと沸く観客。
新日本は猪木だけになりましたが、木戸、高田では体格差もあり猪木の牙城は崩せず、31分37秒、猪木はスリーパー・ホールドで高田を絞め落とすと入って来た木戸にも延髄斬りを見舞い、33分38秒、体固め。
猪木の1人残りで新日本プロレス軍に凱歌があがりました。
第2回ヤングライオン杯争奪リーグ戦の優勝決定戦が行われ、1位で31点の後藤達俊と2位で27点の山田恵一の激突。後藤有利かと思われましたが12分49秒、山田が一瞬の隙をついたエビ固めで後藤を丸め込んで優勝を果たしています。後藤は2年連続で無念の涙を飲んでしまいました。
ログインしてコメントを確認・投稿する