長州力率いるジャパンプロレスは85年2月21日、大阪城ホールでのワンナイト興行が成功したのを機に、全日本プロレスのシリーズオフに初となる1週間のミニシリーズ「ビッグ・ラリアート・フェスティバル」を5月10日、後楽園ホールで開幕させています。
馬場以下の全日本プロレス勢も参加。外国人選手は全日本からスタン・ハンセン、ダイナマイト・キッド、デービーボーイ・スミス、初来日のカナディアン・ルイス(ベン・バサラブ)が参加。また、1月の「激突!オールスター・ウォーズ」以来、ジャパンの重鎮、マサ齋藤が出場しています。
興行を開催する会場も強気で11日(土)静岡産業館、13(月)大阪城ホール、14(火)広島県立体育館、15(水)仙台・宮城県スポーツセンター、最終戦16(木)札幌中島体育センターと大会場がズラリと揃いました。
開幕戦は3000人(超満員)発表。メインイベントは長州、谷津嘉章組vsキッド、スミス組で両チームリングアウトの引き分け。
セミファイナルM齋藤、キラー・カーン組と鶴田、天龍組は天龍がやや強引な逆さ押さえ込みでカーンから3カウントを奪い、全日本、ジャパン両陣営トップの闘いで初のピンフォール決着がつきました。
第2戦の5月11日、静岡産業館(ツインメッセ静岡)は3500人(満員)発表。メインイベントでは前日のセミのM齋藤と長州が入れ替わり長州、Kカーン組と鶴田、天龍組が対戦。今度はカーンが首固めで天龍からフォールを奪い長州、カーン組の勝利。大相撲出身で大柄でスケールの大きな試合を信条とする両者が試合ではあまり使わない小技の丸め込みフィニッシュで決めたのは面白かったです。
第3戦は2月21日以来の大阪城ホール大会。3か月足らずで当時国内最大級の収容人員を持つ屋内多目的ホールである大阪城ホールで興行を打つのはかなり強気かと思われますが、大阪府立体育会館が老朽化の為建て直し工事中で、大阪城ホールに集中せざるを得ない状況でした。この半月ちょっと後の6月4日には全日本プロレスが大阪城ホールで興行を開催しています。
月曜日ということもあり集客は厳しく9200人発表と満員にはならず。
メインは長州がジャパンのエースとして最強外国人ハンセンと一騎討ち。私はこの大会、ノーテレビということもあり遠征して観戦に行きましたが、長州はハンセンの左腕に照準を定め、アームブリーカー、腕ひしぎ逆十字固めと攻め立て、17分7秒、両者リングアウトの引き分けに終わりました。
長州とハンセンは77年8月、新日本プロレスの闘魂シリーズで初対戦。以来、長州はハンセンのウェスタン・ラリアットの前に再三血ヘドを吐かされて来ました。
81年5月17日、寒河江市体育館での第4回MSGシリーズ公式戦で対戦。2分24秒、ハンセンがラリアットで長州をあっさりと破っています。
以来実に4年ぶりとなるシングル対決。長州はハンセンが新日本から去った後の82年1月1日、後楽園ホールでのアニマル浜口戦からラリアットを使い始め、リキラリアットとして自分の技にしました。
この年メキシコ遠征に出た長州は10月に帰国後、藤波に噛みつき本隊に反逆し革命軍、維新軍を経て84年に新日本プロレスを離脱しジャパンプロレスに移籍。闘いの場を全日本プロレスに移しました。
レスラーとしてのキャリアスタートはハンセン73年、長州74年、ほぼ同期ですが、長いことハンセンの後塵を排していた長州がようやくハンセンと並ぶところに来ました。
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