85年IWGPタッグ・リーグ戦、決勝進出が決まっていたブルーザー・ブロディとジミー・スヌーカは優勝決定戦の行われる12月12日、仙台・宮城県スポーツセンターには行かず、仙台から新幹線を使って東京に帰京。
新日本プロレスでは同点2位の猪木、坂口組vs藤波、木村健吾組を優勝決定戦とし、31分53秒、藤波が猪木をドラゴン・スープレックスホールドでフォールし藤波、木村健組が優勝。
翌86年1月5日、東京・新宿の京王プラザホテルで行われた優勝祝賀パーティーの席上、初代IWGPタッグ王者チームに認定されています。
「ブロディ、スヌーカ試合をボイコットして帰京」のニュースはマスコミを通じて全日本プロレスの馬場の知りうるところとなり、同日、日本武道館で世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦(スタン・ハンセン、テッド・デビアス組が長州、谷津嘉章組と30分時間切れ引き分け、最多得点で優勝)が行われており、「ブロディ、スヌーカが姿を現して馬場に全日本復帰を直談判するのではないか?」という噂が流された為、馬場は「(もし来ても)絶対に中に入れるな!」と若手に厳命をくだしていたとのことです。
ブロディ、スヌーカは武道館には現れず。そのまま帰国。
新日本プロレスはブロディを永久追放処分としましたが、スヌーカに関しては「主犯はブロディ」ということで恩赦があり、5か月後の86年IWGPチャンピオン・シリーズで新日本復帰を果たしましたが、ファイトに精彩を欠き、マッチメークでも冷遇されてフェードアウトしていくことになります。
ブロディは猪木ら新日本プロレス一行が86年8月にハワイで試合に出場した際、ハワイに現れ、アラモアナビーチで猪木と何やら直接会談。
新日本プロレスとしても前回のブロディのファイトマネーは支払っておらず、おそらくそこでバーター条件で新日本へ復帰の話をブロディが持ちかけ、猪木がそれに応えたかと思います。
ブロディは「チャレンジ・スピリット86」終盤戦の9月16日、大阪城ホール、19日、福岡スポーツセンターの2大会に特別参加。
大阪では猪木と約11か月ぶりのシングルマッチを行い、60分時間切れ引き分け。猪木にとっては78年7月27日、日本武道館でのボブ・バックランドとのWWWFヘビー級選手権試合以来の60分フルタイム戦となりました(バックランドvs猪木戦は61分3本勝負)。
年齢面、糖尿病からくる体力の衰えと慢性的な首、肩、腰の怪我、またアントンハイセルの資金繰りに伴う精神的不調から試合時間も短くなり「60分フルタイムはもう無理」と言われていた猪木でしたが60分の試合がまだ出来るとファンを安心させています。
福岡では藤波と対戦、15分11秒に両者リングアウトとなっています。
「小さい」と馬鹿にしていた藤波相手にちゃんと合わせるプロレスをしました。
この2試合を見る限り、ブロディは従来のわがままぶりを抑え、相手に合わせたプロレスをしており、少なくとも新日本プロレスで継続的に仕事をしていこうという意識は感じられました。
ですが、ブロディは11月のジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦に特別参加が発表され、11月24日、札幌中島体育センターでは前田日明戦、12月10日、大阪城ホールではアンドレ・ザ・ジャイアント戦という刺激のあるカードが発表されましたが、ここで来日をキャンセル。(アンドレもWWFとの契約上、来日キャンセル)
ブロディは今度こそ新日本を永久追放されました。
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