ところで、この88年7月にはプロレス史に残るような陰惨な事件が起きています。
7月16日、プエルトリコ・バイヤモン球場のWWC(ワールド・レスリング・カウンセル、カルロス・コロン代表)主催の試合に出場予定であったブルーザー・ブロディ(本名フランク・グーディッシュ)が仲間レスラーでマッチメーカーを務めるホセ・ゴンザレスに下腹部を数ヶ所ナイフで刺され、翌17日に搬送先の病院で出血多量により死亡しました。享年42歳。
ブロディは79年1月にフリッツ・フォン・エリックのブッキングで全日本プロレスに初来日。
81年10月9日には蔵前国技館でドリー・ファンク・ジュニアに反則勝ちでインターナショナル・ヘビー級王座を獲得。(同年11月1日、後楽園ホールでドリーとのリターンマッチに反則負けで王座転落)
同年12月13日、蔵前国技館では新日本プロレスから引き抜かれて来たスタン・ハンセンの介入はあったものの、ジミー・スヌーカとのタッグでドリーとテリーのザ・ファンクスを破り、ヒール外国人として初となる世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝を果たしました。
82年に入るとハンセンとのミラクルパワーコンビ(超獣コンビ)が本格始動し世界最強と言っていい強さを誇示しました。
4月21日、大阪府立体育会館でドリーにフォール勝ちしインターナショナル・ヘビー級王座に返り咲いてからは1年4か月以上に亘って同王座を保持。(83年8月31日、蔵前国技館で鶴田にリングアウト負けで王座転落)
同年の最強タッグにはハンセンとのコンビでエントリーも最終戦の12月13日、蔵前国技館での公式戦でハンセンのウエスタン・ラリアットがレフェリーに誤爆。反則負けで優勝を逃しました。
83年4月には馬場、鶴田組、ファンクスと3つ巴による世界最強タッグリマッチに優勝。
暮れの最強タッグではハンセンとのタッグで12月12日、蔵前国技館で鶴田、天龍組を破って優勝を飾りました
84年にはハンセンと組み、新設されたPWF世界タッグ王座決定リーグ戦で優勝、初代王者となりました。
同年暮れに選手大量離脱で選手が手薄になった新日本プロレスから猪木の密命を受けた山本小鉄がテキサス州サンアントニオのブロディの自宅に訪問して移籍折衝が行われています。
85年3月、ブロディは6年の長きに亘り主戦場にしていた全日本プロレスを離れ、新日本プロレスへ。
しかし、新日本プロレスでは猪木とブロディの試合を4月18日、両国国技館、7月28日、大阪城ホール、8月1日、両国、8月3日、ハワイ・ホノルル・アロハスタジアム、10月4日、札幌中島体育センター、10月31日、東京体育館と僅か半年の間に6回も組んでしまい早くも抗争は新鮮味が薄れてしました。(結果は猪木の1反則勝ち2反則負け3両者リングアウト)
85年11月、WWF経由で新日本プロレスに移籍してきたスヌーカとのタッグでIWGPタッグ・リーグ戦に出場。
藤波とは85年12月10日、愛知県体育館でシングル初対戦し5分50秒、フェンスアウトによる反則勝ち。
リーグ戦では1位通過で決勝進出が決まっていましたが、ブロディは何を思ったか、決勝の舞台である仙台からスヌーカと一緒に新幹線で東京に戻り、試合出場をボイコットしてしまいました。
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