88年IWGPチャンピオン・シリーズもいよいよ大詰め。
6月24日、大阪府立体育会館(テレビ収録)は6080人(超満員)の観客を集めました。
5月27日、仙台・宮城県スポーツセンターで長州の挑戦を受けてIWGPヘビー級王座初防衛戦を行った藤波は試合中に足を負傷、試合はノーコンテストに。
藤波のレフェリーストップ負けで王座移動でもおかしくない内容と結末で、納得がいかない王者藤波はベルトを返上。タイトルはコミッショナー預りとなり、改めてこの日長州と王座決定戦を行うことになりました。
試合は長州のサソリ固め、リキラリアットに苦しめられた藤波でしたが、猪木流の延髄斬り、卍固めを見せて奮闘。
18分46秒、首固めで長州を丸め込んでカウント3。藤波は長州が新日本プロレスに復帰後、初めてスッキリした形でのフォール勝ちを収め、(87年10月25日、両国国技館での3本勝負での1本は除外)第3代王者となっています。これで飛龍革命は再び前進した訳です。
セミファイナルではIWGPジュニア・ヘビー級王者、カルガリーの天才児、ハート一家の末弟、オーエン・ハートに、初代、第3代同王者、ド演歌ファイター、越中詩郎が挑戦。
ド演歌ファイターは辻義就アナ命名でした。ちなみに長州は大東亜レボリューション…。6年先輩に当たる古舘伊知郎の真似をして色々キャッチフレーズを考えていますが、やはり先人古舘が偉大過ぎて足元に及ばず。
マシだったのは「セルリアンブルーのマット上」位かと思われます。
試合は14分7秒、越中がジャパニーズ・レッグロールクラッチホールドでオーエンからカウント3を奪いベルト海外流失を防ぎました。越中は第7代王者となり、早くも3度目の同王座戴冠となりました。
シリーズ最終戦、6月26日はプロレス初使用となる名古屋レインボーホール(名古屋市総合体育館、現日本ガイシホール・スポーツプラザ、テレビ収録)へ進出。
前87年に竣工された愛知県体育館より広いキャパシティー(収容人員10000人)を持つレインボーホールでの開催は新日本プロレス中京地区の辣腕プロモーター、富野徹三氏主宰の共同企画でした。
当時の新日本プロレスは冬の時代と言ってよく、新日本興行人気が高いことでは定評のある名古屋は不入りとは無関係でした。
この日は定員を上回る10760人(超満員)の大観衆が集まりました。両国国技館が使えない時期でしたのでシリーズ終盤2戦の大阪、名古屋がいずれも超満員で締めくくれたのは明るい材料だったと思います。
メインイベントは2日前に長州との王座決定戦に勝利した藤波のIWGPヘビー級王座に因縁のビッグバン・ベイダーが挑戦。
先のスーパー・ファイト・シリーズでは、2度に亘ってシングルで対戦(4月27日、大阪府立体育会館、5月8日、有明コロシアム)藤波が2勝しているものの、リングアウトと反則による勝利であり、未だ両者の間で決着はついておりませんでした。
試合は13分37秒、藤波が逆さ押さえ込みで丸め込みながらも猪木が一本勝ち出来なかったベイダーに初のフォール勝ちを収め、王座初防衛を果たしています。
ベイダーは日本初登場以来初めて対戦相手に3カウントを許したことになり、飛龍革命はまた一歩ハードルをクリアしました。
セミファイナルではやはり2日前の大阪でIWGPジュニア・ヘビー級王座に返り咲いた越中に第4代王者「闘うクロコダイル・ダンディー」(辻アナ命名)旧ジャパン軍の小林邦昭が挑戦。
19分26秒、越中がドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)で小林邦を破り初防衛に成功。越中と小林邦は92年に反選手会同盟(平成維震軍)で長く共闘していくことになります。
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