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2018年04月26日08:06

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飛龍革命〜あれから30年〜(5)

一度は撤退させられたゴールデンタイムに復帰することが出来たのはテレビ業界では並大抵のことではありません。

日本テレビ、全日本プロレス中継のゴールデンタイム復帰は馬場が異分子とも言える長州以下ジャパンプロレス勢を受け入れたのも大きかったです。

また、松根光雄社長の引退勧告には不快感を現した馬場でしたが、意見を率直に聞いた部分もあり、鶴田に自分が日本プロレス時代の至宝としていたインターナショナル・ヘビー級の王座に就かせ、さらにAWA世界ヘビー級王者として北米サーキットをさせるなどエースとして団体の看板に据え、さらに天龍にUNヘビー級のベルトを巻かせました。

84年4月25日、横浜文化体育館では新設されたPWF世界タッグ王座決定リーグ戦、馬場、ドリー・ファンク・ジュニア組vsスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組との試合で、場外でハンセン、ブロディ組のハイジャック式パイルドライバーを食らった馬場は首を負傷。

翌4月26日の大宮スケートセンター大会を欠場しており、デビュー以来続いた国内連続試合出場記録を3764でストップされてしまいました。

それにより馬場は鶴田とのタッグで保持していたインターナショナル・タッグ王座を返上、鶴田、天龍組にベルトを禅譲することにしました。

鶴田、天龍組は5月20日、後楽園ホールと6月8日、川崎市体育館の2度に亘りタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組を相手に王座決定戦を行うもドロー判定で決着つかず。

9月3日、広島県立体育館でブロディ、クラッシャー・ブラックウェル組を降してようやく王座獲得しています。

馬場自身も85年7月30日、福岡スポーツセンターでハンセンに敗れ、PWFヘビー級王座から転落、無冠になっています。馬場はこれで無冠となりタイトル戦線から撤退しました。

松根社長も、日本テレビとの協力体勢をより強固なものとし、ゴールデンタイムから外れても82年2月のフロリダ遠征を始め、海外からの中継も継続。

土曜トップスペシャルの特番ではゴールデンタイムの放映権料を全日本に還元させています。

やはり伝統ある日本テレビ運動部のテレビマンの矜持として後発のテレビ朝日、ワールドプロレスリングがタイガーマスクブームで平均視聴率20〜25%を弾き出していたのに負ける訳にはいかなかったでしょう。

ゴールデンタイム復帰第1弾は85年10月19日、後楽園ホールからの生中継。

ドリー&テリーのザ・ファンクスvsザ・ロード・ウォリアーズ、鶴田vsリック・フレアー、長州vsリック・マーテル、天龍、タイガーマスク組vsミル・マスカラス、チャボ・ゲレロ組という豪華ラインナップで攻勢をかけました。

馬場はゲスト解説者として登場、日本テレビ側の合格ラインは15%でしたが、11.6%と届かず。

前日の10月18日にはテレ朝のワールドプロレスリングが同じ後楽園ホールから生中継を行い(猪木vsコンガ・ザ・バーバリアン、ランボー・サクラダvsブロディ)13.3%。新日本に僅差で負けています。

86年4月13日、元横綱の輪島大士が全日本プロレスに入団。

国内デビュー戦となった同年11月1日、七尾市総合体育館からの生中継、vsTJシンとの試合は5分55秒、両者反則となりましたが、視聴率は17.7%を記録。多数の豪華外国人レスラーや鶴田、天龍、長州が輪島一人に視聴率で負けてしまった訳です。

日本テレビも輪島中心のマッチメークを全日本プロレスに要求して来ました。
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