今日は88年4月22日、沖縄・那覇市奥武山(おうのやま)体育館で起きた飛龍革命からちょうど30年。
藤波辰巳(当時)と猪木のやり取りは動画を参照して頂くとして、当時の背景について書きたいと思います。
前87年5月に84年9月に新日本プロレスを退団し新日本プロレス興行(ジャパンプロレス)に移籍した長州軍団が新日本にUターン参戦。
新日本に出戻りしたのは長州、マサ齋藤、スーパー・ストロング・マシン、ヒロ斉藤(カルガリー・ハリケーンズ)、小林邦昭、保永昇男、ジャパンプロレス入門組の馳浩、佐々木健介。
全日本プロレスに残留したのは谷津嘉章、寺西勇、仲野信市、永源遥、栗栖正伸にジャパンでデビューした北原辰巳(光騎)。
アニマル浜口、キラー・カーンは引退、新倉史裕、笹崎伸司は海外へ。
86年1月には前田日明以下UWF勢も新日本に戻って来ており、84年の大量離脱の時に抜けた選手の大半が戻って来た訳で、新日本プロレスのリングは再び活気を取り戻す筈でした。
しかし、猪木は軍団抗争を嫌い、ナウリーダーvsニューリーダーといったボーダーレスなマッチメークを行い、興行的には失敗。
87年11月19日、後楽園ホールでの長州、M齋藤、H斉藤組vs前田、木戸修、高田伸彦組の試合で長州がサソリ固めに捕らえている体勢で顔面が無防備な状態のところ、前田が背後からハイキックで長州の顔面を蹴り、長州は眼窩底骨折を起こして欠場に追い込まれました。
猪木はこれを「プロレス道にもとる行為」と糾弾し、前田を出場停止処分に。
87年12月27日に両国国技館で行われた「イヤーエンド・イン国技館」ではたけしプロレス軍団「TPG」の登場で当初発表されていた猪木vs長州のIWGPヘビー級選手権試合をビッグバン・ベイダーとの対戦に変更。
長州はセミファイナルで予定されていた藤波、木村健吾組vsベイダー、M齋藤組のベイダーのところに入れ換えられました。
試合中、観客席からは「(試合を)やめろ!」コールとともにモノが投げ入れられました。試合は長州が木村健をリキラリアットからの体固めで降しましたが、後味の悪すぎる結果となりました。
これはいけないと思ったか、猪木は長州、ベイダーと1日2連戦を敢行。先ず行われた長州戦は猪木が長州を卍固めに捉えるも馳が乱入して卍固めを外してしまい、猪木の反則勝ち。
間髪入れずベイダーとの試合に突入、猪木は連戦の疲れか、ベイダーにリフトアップスラムで投げられ、スプラッシュで僅か2分49秒、フォール負け。
この結果に観客の不満が爆発。リング内はモノが投げ入れられ、客席を破壊する人も出る始末。
新日本プロレスは1年以上、日本相撲協会から国技館を借りることが出来ませんでした。
88年に入っても新日本プロレスのリングは盛り上がらず、初開催となるトップオブ・ザ・スーパージュニアは初来日のオーエン・ハートが新風を巻き起こし、2月8日、札幌中島体育センターで越中詩郎が馳を破って優勝しましたが、翌2月9日、同所での猪木vsベイダーの再戦はまたも猪木が劣勢に回り、辛うじて両者リングアウトに持ち込むのが精一杯でした。
ログインしてコメントを確認・投稿する