長州力以下ジャパンプロレス勢が参戦し、出場選手が40人以上に膨れ上がった全日本プロレスはメンバーも新日本プロレス化。
1月2日、後楽園ホール「激突!オールスター・ウォーズ」が開幕。長年、全日本プロレスのファンに親しまれた新春ジャイアント・シリーズから始まる一連のシリーズ名を変更させる程の気合いの入れようでした。
長州以下ジャパン勢、前年暮れの世界最強タッグ決定リーグ戦から連続参戦のダイナマイト・キッド、デービーボーイ・スミスに先の最強タッグ84年12月8日、愛知県体育館での公式戦、馬場、ラッシャー木村組vs鶴田、天龍組でセコンドにいた剛竜馬に何やら合図すると、突如馬場に裏切りのラッシング・ラリアットを見舞い仲間割れしヒールターンしたR木村が鶴見五郎、剛らと国際血盟軍を結成し参戦しています。
R木村は自分と一緒にUWFを辞めて来た剛に仕事の場を与えようとして馬場に依頼していたかと思われます。馬場は多分、剛は不要であったかと推測しますがそこを自分がヒールに回ることで折り合いをつけたのではないでしょうか?
国際血盟軍は従来より全日本プロレスにいた菅原伸義(アポロ)、高杉正彦(ウルトラセブン)が加入、さらにこの時期失踪していて、後にヒットマンとして復帰する阿修羅・原を加えて一大勢力となり、地方では6人タッグなどでメインやセミに出場、全日本隊やジャパン軍と対戦することになります。
これに加えてグラン浜田、メキシコUWAからペーロ・アグアヨ、ブラソ・デ・オロ、ブラソ・デ・プラタも参戦。1年前には新日本プロレスに参戦していたメンバーがズラリと顔を揃えています。
以前からいるタイガー・ジェット・シンを加えるとさらに新日本プロレス化度合いが強くなり、良くも悪くも全日本プロレスのオリジナルカラーは弱まりました。
ジャパンプロレスの大塚直樹を味方につけたことで、興行的にも強気の日程。従来の全日本の新春シリーズは82年にスタン・ハンセンが来た時に2月にかかるロングシリーズを組んだ位で、暮れの最強タッグの反動から1月の22日前後には終わってしまい、大阪府立体育会館以外の大会場の開催はありませんでした。
しかし、この年は1月2、3、4日後楽園ホール3連戦からスタート。7日大阪府立体育会館、さらに2月1日には74年以来新日本プロレスの恒例となっていた札幌中島体育センターの雪祭り興行を新日本から奪い取るような感じで開催。(新日本は全日本、ジャパン提携時の85〜87の3年間は2月の札幌中島はなし)
最終戦には2月5日3年ぶりに東京体育館で行う(興行自体は83年4月20日以来)ことになりました。
1月2日の開幕戦は新春恒例のバトルロイヤルもなく、殺伐とした対抗戦ムード一色。長州はセミで谷津嘉章とのタッグで天龍、石川隆士組との対戦。ジャパンの本格結成に際し、維新軍時代の副将、アニマル浜口に代わ谷津がNO2に昇格していました。
試合は長州がリキラリアットで石川をフォールしています。
テレビ収録のあった3日は天龍、大熊元司組vs長州、浜口組。大熊が普段見せないような奮闘でジャパン軍の猛攻を凌ぎ観客を沸かせましたが最後は長州のリキラリアットが連日火を吹いて倒されてしまいましたが、大熊の「そうはいくか」という意地と頑張りは全日本ファンの溜飲を下げたと同時に、全日本の選手の頑丈さ、打たれ強さを知らしめました。
4日はジャパン主催興行でメインは鶴田、天龍、ザ・グレート・カブキ組が長州、キラー・カーン、浜口組と対戦。鶴田と長州が注目の初対決となりましたが、両軍入り乱れての乱闘となりノーコンテストとなりました。
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