新日本プロレスを襲った激震はこれだけに留まらず。84年11月14日、新日本プロレスの第5回MSGタッグ・リーグ戦に参戦が発表されていたダイナマイト・キッドとデービーボーイ・スミスが来日、全日本プロレスへの電撃移籍を発表、同時期開催の世界最強タッグ決定リーグ戦に参加することになりました。
カナダ在住でカルガリーでスチュ・ハートのダンジョンでコーチを務めていたミスター・ヒト(安達勝治)が黒幕と言われました。一緒に日本に来たヒトは「新日本プロレスの選手がこちらに修行に来た時、面倒を見ていたのに新日本は十分な報酬を払ってくれなかった。猪木さん、坂口さんは俺の顔をマトモに見れるかい?」と引き抜きの理由を暴露。
新日本プロレスとカルガリーが提携してからジョージ高野、平田淳嗣(サニー・ツー・リバース)、ヒロ斉藤、高野俊二らの若手を受け入れ、レスリングのコーチ、食住の世話からワゴン車に乗せての試合場までの送迎まで、ヒト夫妻がやっており、それに対し新日本プロレスが誠意ある報酬を支払わなかったことで報復の為に行動を起こしたと言われています。
他には新日本プロレスのブッカーを務めることになった大剛鉄之助との不仲説や、ジャパンプロレスに移籍した永源遙とヒトは同じ立浪部屋の力士からプロレスに転向しており仲が良かったので永源が一枚噛んでいたという話もあります。どれも恐らくは本当でしょう。
キッド、スミスを獲得した馬場はこの年の8月に開催されたNWA総会で第1副会長に就任していました。この年ビンス・マクマホンによって全米制圧がスタート。父であるビンス・シニアの時代は共存共栄、相互不可侵でしたがビンスはそうはいきませんでした。ビンスはケーブルテレビを駆使して全米にWWFの試合を放送出来るシステムを導入しました。
2月10日、NWAの総本山と言われたミズーリ州セントルイスにハルク・ホーガンvsマスクド・スーパースターのWWF世界ヘビー級選手権試合をメインに興行戦争を仕掛けたのを皮切りに、AWAの本拠地でもあるイリノイ州シカゴにも進出。
これに対しNWAとAWAが協力し5月28日、東部のニューヨークにほど近いニュージャージー州イースト・ルーサーフォード地区メドーランズ・ブレンダン・バーンアリーナでビッグマッチを開催しましたが、世界のスーパースター、ホーガンを擁するビンスには観客動員では敵いませんでした。
7月にはNWAジョージアの役員をしていたジム・バーネット、ジャック&ジェリーのブリスコ兄弟が所有していた株式をビンスに売却。中枢マーケットであったジョージアの陥落でNWAは一気に失速。
また、テキサス州ダラスのフリッツ・フォン・エリック(ジャック・アドキッセン)はNWAのピンチに協力せず、「これからは自分達でやっていく」と暮れにNWAからの独立を果たします。
そんなことからNWAには副会長に相応しいアメリカ国内のプロモーターがいなくなり、馬場に第1副会長の椅子が廻って来た訳です。馬場はキッド、スミスの移籍について、
「向こうでNWAとWWFのレスリング・ウォーが起きている。その反動でそうなっただけの話」と相変わらずのとぼけた返答をして、自分は関与してない、来ると言うならどうぞ、というスタンスを崩しませんでした。
一方でこれを聞いた新日本プロレスの坂口副社長は激怒、馬場に話し合いの場を持たせようと、第5回MSGタッグ・リーグ戦に立会人として来日していたビンスを連れて馬場の待つキャピトル東急ホテルへ抗議に乗り込み、馬場、坂口、ビンスによる会談が行われましたがビンスにキッド、スミスに対する抑止力はなく、結果的に坂口の抗議は無駄に終わり、キッド、スミスの全日本プロレス参戦は確定しました。
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