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2018年04月03日07:58

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(328)

一方、全日本プロレスと新日本プロレス興行(以下、新日本興行)の業務提携開始に不快感を示したのが新日本プロレスの坂口副社長。

坂口は新日本興行の大塚直樹社長に「全日本プロレスの興行を買うならウチの興行は売らない。全日本プロレスを取るかウチを取るかハッキリさせろ」と通告しました。

馬場と大塚社長が出席して行われた84年6月22日の記者会見でも「新日本プロレスとの関係に問題はないのか?」と質問して来た記者がいましたが、大塚社長は「ウチは新日本という名前を付けてはいるが、新日本プロレスの子会社ではない。全日本女子プロレスのミミ萩原の引退興行(84年4月1日、後楽園ホール)を手掛けており、問題はない」と回答しています。

法的に問題はなくとも新日本プロレスからすれば商売仇である全日本プロレスの興行にかつての自分の社員が協力するのは面白い訳がなく、坂口は大塚社長に二者択一を迫りました。

こうなると結果は明らかで大塚社長は馬場を選択、坂口副社長の申入を謝絶、これを受けて坂口は7月5日に新日本興行との契約解除を通告、次期ブラディ・ファイト・シリーズを最後に新日本興行に対し興行を売らないことを決めました。

これに対し大塚社長は「それならこちらにも考えがある。新日本プロレスに上がっている私と懇意の選手に声をかけて引き抜く」と宣戦布告。まさに馬場の思う壺に事態は進展していくことになります。

8月2日、蔵前国技館での猪木vs長州戦で新日本プロレスは正規軍と維新軍の抗争を収束させようとする動きに入りました。

サマー・ファイト・シリーズが終わってから新日本プロレス一行は猪木個人では3回目、団体として2回目のパキスタン遠征を行いましたが、過去の遠征と違い、現地のボル・ブラザーズの挑戦を受けるのではなく、外国人選手も呼んで通常の新日本プロレスの大会を見せる形式になりました。

その中で猪木は「パキスタン大統領が藤波と長州のタッグを見たがっている」(本当か?)と大統領命令により8月14日、クエッタで藤波と長州が82年10月8日、後楽園ホールの噛ませ犬事件以来、同じコーナーに立ちました。(2人だけのタッグは長州がメキシコ遠征に出る前の同年4月1日、蔵前国技館でのダスティ・ローデス、ディック・マードック組のテキサス・ジ・アウトローズ戦以来)

ビリー・クラッシャー(マスクド・スーパースター)、カネック組と対戦、藤波がバックドロップでカネックをフォールし勝利。テレビで放送されていないので試合の展開はわかりませんが週プロのグラビアでは合体攻撃も見せていました。

8月24日、後楽園ホールでブラディ・ファイト・シリーズが開幕、テレビ生中継が始まるとスキー帽仕様のマスクに白のTシャツ、中にアメフト用のプロテクターを着用した謎のマスクマンが現れ、キン肉マン人形を客席に投げ入れました。

謎のマスクマンの横には国際プロレス崩壊後、カナダ・カルガリーに渡り、マネージャーをしていた若松市政ことショーグン・KYワカマツが付いて、パキスタンで足を負傷し開幕戦を欠場、放送席にいた猪木を挑発。

謎のマスクマンはリングに上がって来た若手をショルダータックルで倒し退場しました。

8月26日、福生市民体育館では腰痛の為、81年10月16日、大分県立総合体育館での試合を最後にリングを離れていたストロング小林の引退セレモニーが行われました。2度の猪木戦を経て新日本プロレスヘ入団、取締役として迎えられ、猪木、坂口と並んでビッグ3と言われていましたが外様の哀しさか、マッチメークで冷遇され、プロパー選手でのある藤波、長州の後塵を拝する屈辱を味わいました。

腰を痛めて欠場中に髪をスキンヘッドにしストロング金剛の芸名で芸能活動をしていましたがリングへの復帰は叶いませんでした。引退セレモニーにはかつての師匠、元国際プロレス代表の吉原功顧問も来場してS小林の労をねぎらっています。
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