84年新日本プロレスのサマー・ファイト・シリーズが開幕する2日前の6月27日、藤原喜明、高田伸彦のUWF移籍記者会見が浦田昇社長、前田日明同席で行われました。
藤原は長年前座の鬼としてその強さには定評がありましたが、2月3日、札幌中島体育センターで長州を鉄パイプで襲撃、藤波とのWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合を不成立に終らせ、一躍テロリストとして脚光を浴び、テレビマッチのメインイベントにも登場の機会が増えていました。
高田はデビュー4年目の21歳。その素質を猪木に高く買われ、仲野信市(79年3月に新日本でデビューするも83年1月に退団、佐川急便のセールスドライバーに転身したが84年1月に再入門、3月再デビュー)、山崎一夫(82年5月デビュー、84年新日本プロレスを退団しタイガージムのインストラクターに転身)との前座試合は高い評価を受けていました。
タイガーマスク引退騒動の渦中にあった83年8月のカナダ・カルガリー遠征に同行、アーサー・フォーリー(スティーブ・ライトの弟とも言われる)をジャパニーズ・レッグロールクラッチで破り(WWFジュニア・ヘビー級王座挑戦者決定戦と報じられたが、これはタイガーマスクの引退を受けての後付けと思われる)海外デビューを白星で飾りました。
84年1月に開催されたWWFジュニア王座決定リーグ戦にエントリーされ、4月19日、蔵前国技館での新日本正規軍vs維新軍5対5勝ち抜き戦にも抜擢されています。
サマー・ファイト・シリーズにおいても7月20日、札幌中島体育センターでダイナマイト・キッドの保持するWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦することが発表されており、新日本プロレスからも大きな期待をかけられておりました。
藤原、高田ともそのプロレスラーとしての「商品価値」が一気に上がったところでのUWFへの移籍は新日本にとっては大きなダメージになった訳です。
UWFはこの後、タイガーマスク改めザ・タイガーと山崎が参戦し、7月23、24の両日に亘って後楽園ホールで2DAYS興行「無限大記念日」の開催を発表しました。
これでUWFは前田、ラッシャー木村、藤原、剛竜馬、高田、マッハ隼人にこの時点で所属にはなっていなかったタイガー、山崎を加えると日本人選手が8人となり、興行が組めるだけの陣容になりました。
外国人選手のブッキングについてはR木村と剛が国際プロレス時代の人脈を頼ってカナダに渡りました。
メインマーケットであったカルガリーのスタンビート・レスリングは新日本に押さえられていたため、モントリオール一帯のマリタイム地区から選手を招聘。
また、マッハ隼人がメキシコEMLL(現CMLL)にパイプを持っていたところからルチャドールを招聘しました。
レオ・バーク、マッドドッグ・マーチン(フレンチ・マーテル)、ザ・UFO(ボブ・ダラセーラ)、ロッキー・ダラセーラ等国際プロレス来日経験者が参戦。
メキシコ勢もエル・ファンタスマ、アンヘル・ブランコ・ジュニア、ガジョ・タパド、MS1(エメ・エセ・ウノ)が来日、日本人8人、外国人8人で興行開催に漕ぎ着けています。
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