84年6月14日、蔵前国技館ではIWGP優勝決定戦、前年度優勝者ハルク・ホーガンに猪木が挑んだ一戦。
試合は猪木が連戦の疲れかホーガンのパワーに押され気味。場外乱闘となり、ホーガンが猪木に場外でブレーンバスター。しかしそのまま共倒れとなり、17分15秒に両者リングアウトが宣告されました。13000人の大観衆からは早くも延長コール。
ホーガンは自分がディフェンディング・チャンピオンであることから「防衛」を主張しましたが、これは優勝決定戦であり、決着がつくまでやらなければなりません。
ここで再試合となり、猪木はホーガンに足4の字固め。ホーガンはギブアップせずロープエスケープ、そして両者同体でエプロンに身体が出てしまいました。
レフェリーのミスター高橋がブレイクを命じましたが、お互いに自力脱出出来ず、高橋はカウント10を数えてまたも2分23秒、両者エプロンカウントアウトの引き分け裁定。
さらに再々試合となりました。場外に両者転落、そこへ、長州が入って来て猪木にリキラリアット。続いてホーガンにもリキラリアットをお見舞いしていきましたが、これはホーガンのアックスボンバーとの相討ち。
館内は騒然となりました。両者リング下でダウン、ダウンしていた猪木の身体を坂口以下セコンド陣が持ち上げてリング内へ。
ホーガンが上がろうとしたところ高橋はカウント20を数え終えて3分11秒、リングアウトで猪木の勝ち、猪木の優勝が宣せられました。
会場は野次と怒号で溢れかえり観客は帰ろうとせず「長州を出せ!」と大騒ぎ。
国技館の椅子や時計を破壊する者も出てきて収拾がつかなくなりました。
藤原喜明が出てきて「長州をやってやる」とアピールしても効果なし。
私服に着替えた猪木が手を上げて観客に挨拶し収束を図ろうとしましたが、かえって火に油を注ぐ結果に。
結局、新日本プロレス側にファン代表と思われる人物が「二度とこういうことがないように」という要望書を出して、新日本側もこれを受理し午後11時過ぎに残っていた観客は家路に着きました。
問題はこのフィニッシュですが、長州が自分の意思でやったとはまず考えにくいです。
一説には親分であるマサ齋藤の新日本での処遇が悪いと不満を持っていてあの行動に出た、と報じていたマスコミもありましたが、猪木の指示によるものと考えるべきでしょう。
私は以前にも書いたことがありますが、ホーガンがWWF世界ヘビー級王者となったことで、「フォール、ギブアップ負け」が出来ない存在となってしまった。なのでそれ以外のフィニッシュを考えなければならない訳です。
そこで思い付いたのが��78年12月14日、大阪府立体育会館でのボブ・バックランドvs猪木のWWWFヘビー級選手権試合、ヒロ・マツダ率いる狼軍団が乱入し、猪木とバックランドの双方に攻撃を加え、一足早くリングに戻った猪木のリングアウト勝ち。(ルールによりベルト移動なし)
��80年8月22日、品川プリンスホテル・ゴールドホールでの同じくバックランドvs猪木のWWFヘビー級選手権試合。スタン・ハンセン、ラリー・シャープが乱入。前回同様に双方に攻撃を加え、またも一足先にリングに上がった猪木のリングアウト勝ち(ベルト移動なし)
いずれのケースも試合をしている選手や乱入者が特段観客と事件を起こした訳ではなく、猪木は3匹目のドジョウを狙ったと考えます。
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