一方、アメリカWWFでは、84年1月23日、ニューヨークMSGでハルク・ホーガンがアイアン・シークを破りWWF『世界』ヘビー級王座を獲得。ビンスとホーガンによる世界戦略がスタートします。
同時にWWFと新日本プロレスの蜜月関係も微妙なものになって来ました。
また、タイガーマスクの佐山聡は前83年8月10日に出演する予定でドタキャンしたテレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!」に1月18日ゲスト出演、近いうちにリングに上がると復帰への意欲を覗かせています。
また、新日本プロレスを退職した新間は佐山が前年起きたクーデター事件に加担していたのではないか、と思っていましたが、佐山の引退は山本小鉄ら改革派とは関係ないところでの出来事だったことがわかりタイガーマスク引退事件から4か月で和解しました。
一方、1月31日付の東京スポーツに猪木がフジテレビの関係者と接触していた記事が書かれ、「猪木、フジテレビへ移籍か!?」と報じられました。
猪木は倍賞美津子夫人(当時)も同席しており、芸能の仕事の話とこれを全面否定しています。
しかし、これはアントンハイセルに資金をつぎ込む為に資金が必要だった猪木が69年の日本プロレスの日本テレビにNET(テレビ朝日)の2局放映の時と同じことを目論見、フジテレビと接触していたものでした。
フジテレビもこの年3月一杯で長寿番組の一つであった「銭形平次」が放送終了、後番組として「スポーツスクランブル」(仮)の放送開始を検討していました。
日本プロレスの時と違い、新日本プロレスの大会をテレビ朝日とフジテレビの2局で放送するのではなく、フジテレビには設立した新団体を放送させ、猪木はどちらにも出場可能となるような話し合いがされていたと思われます。
猪木の密命を受けた新間は新日本プロレスを退職後、最近倒産事件で注目を浴びたジャパンライフに勤務していましたが、水面下で新団体設立の為の資金調達とレスラー集め、外国人選手のブッキングの為ビンス・シニアに接触をしていました。
新日本プロレスは2月12、13日に元国際プロレスの大磯武の招きによりフィリピン遠征を行った後、3月2日、綾瀬市体育館で開幕したビッグ・ファイト・シリーズ第1弾の開幕戦を迎えました。
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