83年4月3日には蔵前国技館で長州が藤波を16分39秒、リキラリアットからの体固めで破りWWFインターナショナル・ヘビー級王座を奪取。初の藤波戦勝利。長州は時代を味方につけました。
首を負傷したタイガーマスクはNWA世界、WWFのジュニア2冠王座を返上、この日行われる予定だったダイナマイト・キッドとのNWA世界ジュニア防衛戦はキッドと小林邦昭の王座決定戦となりました。(両者リングアウトでベルトは空位のまま)
新日本プロレスは中17日という短いスパンで4月21日にも蔵前国技館大会を開催。両方とも12000人の超満員発表でブームが本物であることを見せ付けました。
この日、イギリス遠征から帰国した前田日明(当時は『明』表記)が凱旋試合を行い、ポール・オーンドーフを僅か3分36秒、風車固めで破りました。
5月6日には猪木の実力日本一、格闘技世界一に次ぐプロレスラーとしての第3のライフワーク、IWGPが福岡スポーツセンターで開幕。
「乱立するチャンピオンを統一し、真のワールドチャンピオンを決める」
80年12月13日、東京体育館のリング上で新間寿営業本部長の口からその構想が発表されてから2年5か月。当初から規模は縮小されましたが開催にこぎつけました。
全28大会、1日のオフもない過密スケジュールで興行人気の高さを証明、決勝リーグ戦には出ない藤波、タイガーマスクを欠きながらも会場はどこも満員、超満員の観客が詰めかけました。
5月16日の津市体育館から前日の後楽園ホールまで試合に出ていた長州がアニマル浜口と共に巡業から姿を消しています。
浜口は先のビッグ・ファイト・シリーズ第2弾でラッシャー木村、寺西勇の国際軍団と試合中に何度か同士討ちを繰り返して険悪な雰囲気となり、仲間割れ。長州らの革命軍に合流すると見られていました。
6月2日、蔵前国技館での優勝決定戦では猪木がハルク・ホーガンの対戦となり、リングに上がろうとしたエプロンの猪木にホーガンがリング内から自らロープに飛んで助走をつけてのアックスボンバーを見舞い、猪木は場外に転落、そのまま起き上がることが出来ずに21分27秒、ホーガンのKO勝ち。
坂口らセコンドにリングに上げられた猪木は舌を出して失神し、そのまま都内の病院に救急搬送されました。
「舌出し失神事件」として一般紙にも報じられる程でしたが、後に猪木の独り芝居であった説が出ています。
今シリーズこの日限りにタイガーマスクが出場、小林邦をエビ固めで破りNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を獲得。WWFジュニア・ヘビー級王座も6月12日、メキシコシティのエル・トレオ・デ・クアトロ・カミノスでフィッシュマンを破り王座獲得しジュニア2冠に返り咲いています。
6月17日、港区南青山の新日本プロレス事務所に姿を消していた長州と浜口が現れ、新日本に辞表を提出。7月1日、後楽園ホールで開幕のサマー・ファイト・シリーズからフリーでやっていくと表明しました。
長州、浜口の他、マサ齋藤、キラー・カーン、タイガー戸口、小林邦のメンバーで革命軍から維新軍に改められて再スタートを切ることになりました。(寺西も後日、国際軍団から維新軍に合流)
7月1日、後楽園ホールでのサマー・ファイト・シリーズは猪木はホーガン戦で受けた脳震盪のダメージが回復せず全戦欠場。
タイガーマスクは原作者の梶原一騎が前年9月、大阪のホテル南海にて猪木を軟禁し、逮捕されたことでタイガーマスクのリングネームが今シリーズ限りで使えなくなるとのことで新しいリングネームの公募が8月4日、シリーズ最終戦、蔵前国技館のリングで行われています。
この日タイガーマスクは寺西を猛虎原爆固めで破りNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を防衛、藤波は長州を場外でのバックドロップからリングアウトで降しWWFインターナショナル王座を奪回。
猪木抜きでも13000人の観客を集め、人気は衰えずでしたが、このシリーズオフに新日本プロレスの流れは一変します。
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