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2018年03月14日08:12

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(308)

79年3月1日は津市体育館大会(テレビ収録)でメインイベントは猪木、長州組がタイガー・ジェット・シン、ジョニー・マンテル組と対戦。(60分1本勝負)

13分、猪木がJマンテルをバックドロップから体固め。

セミファイナルは坂口、木戸修組と上田馬之助、マサ齋藤組のタッグマッチ。前回のプレ日本選手権では狼軍団の中でも、反則ファイトに終始する上田派(と言ってもサンダー杉山の2人だけ)とヒールながらテクニックも駆使し、正統派の部分も見せながら試合をするヒロ・マツダ、M齋藤派(他は剛竜馬)に別れていましたが、そこは海外経験の長いプロの職人同士、息の合った連携プレーを見せ、M齋藤が木戸をバックドロップから体固め。

藤波はスタン・スタージャックに逆さ押さえ込みで勝利。開幕戦では長州に一方的に敗れ、この日ジュニア・ヘビー級の藤波にも丸め込まれてしまったスタージャックは早くも馬脚を現しました。

津大会は翌2日に録画中継されましたが、この日からレギュラー解説者として山本小鉄が放送席に座りました。

山本はこの時まだ現役でしたが、猪木の「実際にプロレスラーならではの視点でレスラーのテクニックや痛みを視聴者に伝えて欲しい」という意向で解説者に就任しました。

ワールドプロレスリングでは日本プロレス時代から遠藤幸吉による迷解説が有名でしたが、喋りは流暢とは言えず、やはり放送の流れに乗った解説というのは、桜井さんのような新聞記者は取材慣れしているところから安定しておりました。

スポーツ新聞の記者を解説に起用するのはプロボクシングの世界戦中継に倣ったもので、おそらくアイデアは力道山かと思われます。

77年8月に遠藤が解説者を勇退してから、舟橋慶一、山崎正、銅谷志朗、三浦智和、古舘伊知郎らのアナウンサー陣と桜井さんのコンビで2人体制でやって来ましたが、山本の登場で3人体制となりました。

実況は舟橋アナがテレビ朝日が独占放送契約を結んだ80年のモスクワ五輪のプロジェクトチームに異動することが決まり、78年8月13日、メキシコシティ・パラシオ・デ・ロス・デポルテスでの藤波vsレイ・メンドーサのWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合(8月18日放送)を最後に勇退しますが、

モスクワ五輪の放送独占契約の話は77年春前からテレ朝上層部の間で水面下で進行していました。

NETからテレ朝に社名変更したこの年、舟橋アナは三浦甲子二常務の命令で「君にはモスクワ五輪をやってもらう、後継者を採用しろ」と言われ、この年は大量にアナウンサーを採用。

その中で、舟橋アナが面接官を担当しその才能を見出したのが古舘アナでした。

古舘は54年東京都北区滝野川出身、立教大学を卒業し77年4月に新卒でテレ朝入社。直ぐにスポーツ局に配属になり、同年4月22日開幕のゴールデン・ファイト・シリーズから舟橋アナの鞄持ちとして巡業に同行。

サイドリポーターを経て同年8月1日、越谷市体育館での長州vsエル・ゴリアス戦(8月19日放送)で実況デビュー。

78年11月26日、西ドイツ・シュツットガルト・ギルスベルクホールでの猪木vsローラン・ボック戦(12月29日放送)で初のメイン実況を務めました。

ワールドプロレスリングは古舘アナ、桜井さん、山本小鉄の新体制で79年にリニューアルされています。
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