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2018年02月16日08:09

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(283)

現在は医学も発達し、リング上の抗菌処理も進歩、蜂窩織炎も09年にノアの杉浦貴がかかった時は短期に復帰出来、その後も支障なく試合をしていますが、やはり75年ともなると大病には違いなく、猪木は4週に亘ってシリーズを欠場。

9月19日、千葉公園体育館でジャック・ルージョーを相手に復帰戦を行った猪木は力道山ばりの黒のロングタイツ姿で試合をし、不安視されていた膝を狙われましたが、綺麗なブリッジの鎌固めを見せ、バックドロップからの体固めで勝利。

空位となっていた北米タッグ王座は王座決定戦に猪木に代わりストロング小林が坂口と組んで出場、9月22日、愛知県体育館でジェリー・ブラウン、バディ・ロバーツのハリウッド・ブロンドスと対戦はしましたが、1本目はS小林がロバーツをカナディアン・バックブリーカーでギブアップさせたものの、曲者ブロンドスの連係に捕まり、2本目ロバーツ、3本目ブラウンに1人で2本フォールを取られて惨敗。

ブロンドスが王座を獲得しています。

10月2日、大阪府立体育会館で今度は猪木が坂口と組んでブロンドスの北米タッグ王座に挑戦。1-1からの3本目、猪木がブラウンをバックドロップから体固めに決めベルト奪回に成功しています。

10月9日、蔵前国技館では猪木はこの年アメリカ東部で旗揚げしたIWAで59歳で復帰したルー・テーズの挑戦を受けてNWF世界ヘビー級王座の初防衛戦を行っています。

猪木は8月にブロンドスとの試合で渡米した際、当時オポジション(敵対勢力)にあったIWAの8月7日、ニュージャージー州ジャージーシティ・ルーズベルト・スタジアム大会と9日のWWWF、ニューヨークMSGの両方の大会を視察。

IWAのリングに上がっていたテーズ(エリック・ザ・レッドに反則勝ち)と前74年8月の猪木vsカール・ゴッチ、実力世界一決定戦二番勝負のレフェリーを勤めて以来の再会をし、59歳とは思えない良好なコンディションを目の当たりにして契約したかと思われます。

猪木が復帰戦のルージョー戦、北米タッグタイトル戦でフィニッシュにバックドロップを用いたのはテーズを強く意識してのものでした。

大阪での北米タッグ戦では客席で試合を観戦していたテーズの目前でバックドロップをブラウンに決めています。

特別レフェリーは50〜60年代序盤ににニューヨーク地区のトップ選手であったアントニオ・ロッカが勤め、役者が勢揃い、と言ったところでした。

試合は前半にテーズがドロップキックの奇襲、バックドロップと攻勢に出ましたが途中でスタミナ切れを起こし、決め手に欠くようになりました。

猪木はテーズをバックドロップで投げ、横抱きにして投げてから固めるブロックバスターホールドでフォール勝ち。カウント2でテーズが右肩を上げたように見えましたがレフェリーのロッカはこれを看過してしまい、テーズとロッカがやり合う場面も見られました。

12月11日、蔵前国技館で猪木は国際プロレスから移籍してきたビル・ロビンソンとNWF世界ヘビー級王座防衛戦を行いました。

この大会をめぐっての馬場とのオープン選手権、力道山13回忌追善試合出場をめぐってのリング外での確執については何度も書いていますので割愛致します。

1本目は42分53秒、ロビンソンが逆さ押さえ込みで先取。2本目は16分19秒に猪木が卍固めで返し1-1。決勝の3本目は残り48秒を闘って時間切れ引き分けとなりました。

猪木vsロビンソン戦は42年以上経った今も、歴史的名勝負として世代を超えて映像で観られ、語り継がれています。

しかし、猪木の長期欠場もあり、大物日本人対決でガンガン攻めていた74年と比較するとロビンソン戦以外にこれと言った大きなサプライズはなく、新日本プロレスが安定期に入っていたと言え、興行数も208と過去最多を記録しました。
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