16.12月27日発売号 ●【予想】たけしプロレス軍団登場、イヤーエンド・イン国技館。(87年新日本プロレス両国国技館)【正解】○プロレス大賞制定の経緯。(74年)
【解説】87年、テレビ朝日のワールドプロレスリングは視聴率低迷による迷走が続きました。
前86年、UWF戦士5人が新日本のリングに復帰したものの、マッチメークの稚拙さからか視聴率は上がらず、9月19日、福岡スポーツセンターからの生中継(猪木vsハックソー・ジム・ドゥーガン、藤波vsブルーザー・ブロディ、高田伸彦vs越中詩郎IWGPジュニア戦)を最後に長年親しまれた「金曜日午後8時」から撤退。10月の番組改編期から毎週月曜日午後8時に移行しています。
10月13日、両国国技館からの録画(10月9日収録、猪木vsレオン・スピンクス、前田日明vsドン・ナカヤ・ニールセン)同日後楽園ホールからの生中継(猪木vsスティーブ・ウイリアムス、藤波vs武藤敬司)の特番で攻勢に出ましたがその後は尻窄み状態に。
月曜日午後8時も87年4月6日、大阪城ホール(3月26日収録、猪木vsマサ齋藤、武藤、越中組vs前田、高田組IWGPタッグ戦。古舘伊知郎アナ最後のレギュラー実況)の後、翌4月7日からは毎週火曜日午後8時からバラエティー班とのジョイントで「ギブUPまで待てない!ワールドプロレスリング」をスタートさせましたが、プロレスとバラエティーの融合をよしとしないプロレスファンの反感を買い視聴率は5.7%と厳しい数字。
この間、長州力以下旧ジャパンプロレス勢が新日本に復帰、リング上のメンバーは、選手大量離脱があった84年より前と比べて遜色ないほど充実していましたが、猪木の体力の衰えもあってナウリーダーvsニューリーダーの世代闘争等、メンバーを生かしきれないマッチメークとなり人気回復には至らず。
むしろ、長州達が抜けた後の全日本プロレスに危機感を感じた天龍が「全日本活性化の為」決起、阿修羅・原と天龍同盟を結成し鶴田、輪島大士、スタン・ハンセンらと激しい痛みの伝わるハードヒットな試合をして観客の支持を得ていました。
「ギブUPまで待てない!」も2クール目に突入した7月辺りから試合中継中心の番組構成になっていきました。
しかし「ギブUPまで待てない!」も10月の番組改編期で終了。
10月5日から再び毎週月曜日午後8時からに時間帯が変更されました。
この日は前4日、巌流島で行われた猪木vsマサ齋藤と後楽園ホールからの生中継で藤波vs長州の3年ぶりの「名勝負数え唄」シングルマッチが特番放送されました。
(当初、長州の対戦相手には藤波と前田の2人のどちらかということだったが、試合前のコイントスで藤波に決定)
そんな中、11月19日、後楽園ホールで行われた長州、M齋藤、ヒロ斉藤組vs前田、木戸修、高田組の6人タッグマッチが組まれ、サソリ固めに入って両腕、両足が無防備状態となっている長州の顔面に前田がハイキックを入れ、蹴りを受けた長州の顔面が見る見るうちに内出血で腫れ上がって来てしまいました。
試合は続行され、10分51秒、長州がリキラリアットで高田を体固めに降しましたが長州と前田は一触即発状態となり、前田は出場停止処分となりました。
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