9.11月1日発売号○猪木、挙式前日に坂口と組んでキラー・コワルスキー、バディ・オースチン組を破り第2回NWAタッグ・リーグ戦優勝(71年日本プロレス東京体育館)
【解説】3勝目。この11月1日も色々な出来事がありました。馬場vsターザン・タイラーインターナショナル選手権(67年)、馬場、猪木組vsザ・デストロイヤー、ブラック・ゴールドマン組インターナショナル・タッグ選手権(69年)、猪木vsアーニー・ラッドNWF世界ヘビー級選手権(74年)、猪木vsクリス・マルコフNWFヘビー級選手権(78年)、猪木vsダスティ・ローデスNWFヘビー級選手権(79年)。
さらにアブドーラ・ザ・ブッチャーvsテリー・ファンクUNヘビー級選手権(80年)、ブルーザー・ブロディvsドリー・ファンク・ジュニアインターナショナル・ヘビー級選手権(81年)、新日本退団の長州、全日本の会場に現れる(84年)、カルガリー・ハリケーンズ、ジャパンプロレス初参戦(85年)、輪島日本デビュー戦vsタイガー・ジェット・シン(86年)等。
また流さんは書かないと思いますが77年には全日本女子プロレスが日本武道館に初進出しジャッキー佐藤vsマキ上田のビューティ・ペア対決(WWWA世界シングル選手権)が行われています。
この時期は昭和各団体は秋のシリーズの終盤期に差し掛かり、ビッグマッチを連発していたのですが、どれか一択となると非常にチョイスが難しい。
決め手となったのは、やはり翌日に猪木との結婚式を控えていた女優の倍賞美津子さん(当時24歳)の存在で、倍賞さんはこの日NET(テレ朝)の放送席にゲストとして座り、試合後には勝った猪木を祝福しています。
ただ、流さんの文調が日本でプロレス中継がバラエティ的要素を取り入れたハシり。的な書き方だったので私はこれについては違和感を感じます。
今はプロレスラーと女優が結婚すると格差婚のような書き方をされてしまいますが47年前のプロレスラーの社会的認知度は高く「ビッグカップル誕生」として世間の注目を浴びておりました。
10.11月8日発売号●【予想】ハーリー・レイスvsブッチャー後楽園でNWA世界戦&天龍、高千穂と組んでアジア・タッグ王座挑戦。(79年全日本プロレス後楽園ホール)【正解】坂口、パット・パターソン降しWWF版北米ヘビー級王座奪取。(79年新日本プロレス小樽市総合体育館)
【解説】同じ79年の同日に起きた出来事。来日前の8月にローデスに敗れ一度はNWA世界ヘビー級王座から転落したレイスでしたが、5日後に奪回。
この年のジャイアント・シリーズでは10月26日、松本市県営体育館で鶴田と両者リングアウトで防衛したレイスは10月31日、愛知県体育館で馬場に敗れベルトを失いました。
11月5日、宮崎市串間市民体育館でのリターンマッチは馬場の勝利。11月7日、尼崎市体育館でレイスが王座を奪回。
この日スペシャルマッチとして行われる予定だったブッチャーとの試合はNWAタイトル戦になりました。当時世界最高峰と言われたNWA世界ヘビー級王座防衛戦を2000人収容規模の後楽園ホールで開催することに異議を述べる関係者やファンは多く、改めて「タイトルの権威とは何か?」が問われています。
天龍は高千穂明久と組んでグレート小鹿、大熊元司組のアジア・タッグに挑戦しましたが2-1で敗退。
天龍がアジア・タッグに挑戦したのは77年9月9日、後楽園ホールでロッキー羽田とのハンサムフレッシュコンビで小鹿、大熊組に挑戦し1-1から時間切れ引き分けに次いで2度目。
王座奪取に失敗し暮れの世界最強タッグ決定リーグ戦にもエントリーされなかった天龍は80年2月に3度目のアメリカ修行へ出発。
81年5月に帰国した時には負傷欠場したディック・スレーターの代打としてビル・ロビンソンと組んで馬場、鶴田組のインターナショナル・タッグ選手権に挑戦(81年7月30日、後楽園ホール)、以降メインイベンターの一角を担い、アジア・タッグ王座は戴冠することなく通過。
SWS、WARを経て全日本に復帰した04年5月22日、渕正信と組んでザ・グレート・コスケ(小島聡)、獅龍(カズ・ハヤシ)組を破って54歳にして「青春の忘れ物」であったら同王座を獲得しています。
坂口はこの年の1月26日、岡山武道館でジョニー・パワーズを破りNWF版の北米ヘビー級王座を奪取。6度の防衛に成功しましたが9月21日、TJシンに敗れ王座転落。
この日パターソンの持つWWF版北米ヘビー級王座に挑戦。おそらく初公開と思われるパターソンの得意技足4の字固めで勝利し王座獲得。
2週連続の坂口登場はないと予想しましたが、前週の主役はあくまでも猪木であり、坂口を取り上げたことにはならなかったのでしょう。
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