7.10月18日発売号○アブドーラ・ザ・ブッチャー、ビル・ロビンソン破りPWFヘビー級王座奪取。(78年全日本プロレス宇都宮・栃木県体育館)
【解説】2週連続全日本プロレスネタで来るか?は疑問でしたが、この日は90年のSWS旗揚げ戦横浜アリーナ大会がある位でビッグイベントはなく、唯一、候補に上がったのが85年の新日本プロレス後楽園ホール大会。
翌19日には馬場の日本テレビ、全日本プロレス中継が6年半ぶりにゴールデンタイム(毎週土曜日午後7時)に復帰とあって、視聴率で負けられないテレビ朝日ワールドプロレスリングの生中継で、猪木がコンガ・ザ・バーバリアンを破り、ブルーザー・ブロディは新日本より移籍のランボー・サクラダ(ケンドー・ナガサキ)をキングコング・ニードロップで撃破しています。
視聴率は18日のテレ朝が13.3%、19日の日テレが11.6%。新日本もUWF、ジャパンプロレスに選手が分裂し離脱、さらに8月にはスーパー・ストロング・マシン、ヒロ斉藤、高野俊二(拳磁)のカルガリー・ハリケーンズが退団。選手層が薄くなり視聴率は半数近くに激減しておりました。
しかし、生前ロビンソンと交流のあった流さんの好みを考えるとやはりここはロビンソンvsブッチャーを持って繰るのが筋かと。
1本目はロビンソンがブッチャーの140kgの巨体を鮮やかなワンハンド・バックブリーカーに捕らえフォール勝ち。しかし、これで古傷の膝を痛めたロビンソンは2本目以降は動きが急激に鈍くなりました。
ブッチャーは場外でロビンソンの膝を凶器で滅多刺しにしてリングアウト勝ちで2本目を取りました。3本目は膝を痛めたロビンソンが立ち上がることが出来ずレフェリーストップ。
2-1でブッチャーが勝利し第4代王者となりました。これで2勝目。
8.10月25日発売号●【予想】猪木vsチャック・ウェップナー、坂口vsアレン・コージ(バッドニュース)柔道ジャケットマッチ2大異種格闘技戦。(77年新日本プロレス日本武道館)【正解】第1回カール・ゴッチ杯争奪戦開幕。(74年新日本プロレス後楽園ホール)
【解説】前76年6月26日、日本武道館でモハメド・アリと対戦。アメリカでのクローズドサーキット(現在で言うところのライブビューイング)の興行収入が低調に終わり、7億円とも9億円とも言われた負債を背負った新日本プロレスは、NET(テレ朝)から役員が出向してきて管理下に置かれ、同年から「借金返済路線」がスタートします。
それが格闘技世界一決定戦のシリーズ化と猪木ら主力選手による海外遠征の2本柱でした。
8月2日、日本武道館で全米プロ空手世界スーパー・ヘビー級王者、ザ・モンスターマン・エベレット・エディにKO勝ち。試合内容も素晴らしく「アリ戦の汚名返上」と高評価を得ました。
続いてこの日、映画ロッキーのモデルになったチャック・ウェップナーと対戦。(当初はこの日ジョージ・フォアマンとの一戦が発表されたがキャンセルされている)
6回1分35秒、逆エビ固めで猪木がギブアップ勝ち。
坂口はモントリオール五輪柔道銅メダリストのアレンと柔道ジャケットマッチを行い、5回2分7秒、送り襟絞めで完勝しています。
しかし、昨年の8月2日は水曜日であの日あの時で猪木vsモンスターマン戦を取り上げており、この日の2大異種格闘技戦についてはネタがダブるのを考慮して掲載を見送ったと思われます。
若手の登竜門と言われたカール・ゴッチ杯は74年が第1回大会。黎明期の新日本プロレスは生え抜きの練習生を沢山入門させており、旗揚げ3年目にしてメンバーも充実して来ていました。優勝者には海外武者修行の切符が贈られることになりました。
第1回大会は12月8日、刈谷市体育館で猪木が特別レフェリーを務め藤波辰巳が小沢正志(キラー・カーン)を破り優勝。翌75年西ドイツへの修行に出発、アメリカ、メキシコを経て78年1月にWWWFジュニア・ヘビー級のベルトを引っ提げて凱旋帰国、その後の活躍は皆様ご存知の通りです。
ゴッチ杯は76年まで3回行われ、76年の第3回大会ではベテランで当時34歳の魁勝司(北沢幹之)が優勝。年齢では猪木より上の魁が優勝したことで若手の不甲斐なさに猪木が激怒。この年限りで中止になりました。
85年からヤングライオン杯としてリニューアル再開され、87年までこちらも3回開催されました。その後は
93年から復活し96年まで、00年〜05年までと断続的に開催されて来ました。
奇しくも昨年のこの時期、新日本プロレスで山本小鉄メモリアルとしてヤングライオン杯が12年ぶりに行われることがリリースされており、それにに合わせて取り上げられたかと考えます。
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