プレ日本選手権決勝トーナメントは坂口、マサ齋藤が準決勝進出でベスト4入りが確定。残る2枠は…。
78年12月9日、四日市市体育館での準々決勝では猪木はストロング小林との対戦。4年9か月前の74年3月19日、蔵前国技館で行われた両者の最初の一騎討ちは、力道山vs木村政彦戦以来の「昭和巌流島の決戦」と言われ、日本中のプロレスファンを熱狂させました。
試合は29分30秒、猪木が「首で支える」伝説のジャーマンで快勝。この年制定された東スポプロレス大賞の年間ベストバウトを獲得しています。
猪木に敗れたS小林はニューヨークのWWWF地区に修行に出かけ、同年12月12日、蔵前国技館で両者は再戦を行っています。
試合は猪木の卍固めがガッチリと決まり、S小林は脱出不可能な状態になりましたが、ギブアップせず。「これ以上絞め続けるとS小林の首が折れる」と判断したレフェリーのコシキ・ジーンは試合をストップさせ、28分27秒、猪木がS小林を返り討ちにしています。
S小林は「猪木さんを内側から研究したい」と翌75年1月の新春黄金シリーズから新日本プロレスのリングにフリーとして参戦しました。
フリー期間中は坂口とのタッグはあったものの、猪木とのタッグは実現せず。
猪木とS小林の3度目の対戦は75年5月6日、広島県立体育館での第2回ワールド・リーグ戦で行われ、29分32秒、両者リングアウトの引き分けとなりました。
収まりがつかない両者は「28秒」だけ延長戦を行い30分時間切れ引き分け。
4度目の対戦は75年5月16日、日大講堂での第2回ワールド・リーグ戦決勝進出者決定トーナメント1回戦。
ここでも猪木が20分22秒、グラウンド卍固めによりS小林の両肩がマットに着いて3カウントによるフォール勝ち。
これまでの対戦成績は猪木の3勝1分。S小林は75年5月30日、後楽園ホールのゴールデン・ファイト・シリーズ開幕戦から新日本所属となっています。
新日本所属となってからのS小林はファイトに精彩を欠いており、坂口と組んで北米タッグ王者にはなっていましたが、藤波、長州の後塵を拝する屈辱を味わっています。
3年7か月ぶりの猪木vsS小林戦はノーテレビの地方大会で組まれました。これが現実だったのでしょう。
試合はS小林がベアハッグ、逆エビ固め、アトミックドロップと得意のパワー殺法で攻め立てました。
猪木もリバースのインディアン・デスロック、ダブルアーム・スープレックスと随所にテクニックの冴えを見せて、11分50秒、コブラツイストからの変形エビ固めでカウント3を奪い、S小林から勝利。準決勝進出を決めています。
残る1枠は12月11日、静岡・駿府会館での藤波vsヒロ・マツダの一戦。予選リーグ戦をシードされ、決勝トーナメントも上田馬之助の棄権により闘うことなく準々決勝に進出したマツダはこれが公式戦の初戦。
マツダは64年7月11日、フロリダ州タンパ・フォートフォーマー・ヘスタリー・アーモリーでダニー・ホッジを破り日本人初のNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を獲得した日本人ジュニアのパイオニア。
新旧ジュニア対決は藤波がキーロック、ドロップキックを見せれば、マツダはシュミット式バックブリーカー、弓矢固めと藤波の背骨から腰を集中攻撃。
勝負をかけた藤波はマツダをコーナーに飛ばしてダイビング・タックルにいきましたが、冷静に藤波の動きを見ていたマツダはこれを自爆させ、間髪入れずサイド・スープレックス一閃。
11分53秒、体固めでマツダが勝利。準決勝に進出しています。
決勝トーナメント準決勝は猪木vsM齋藤、坂口vsマツダの組み合わせとなりました。
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