アントン・ヘーシンクの柔道ジャケットマッチ第2弾は74年11月5日、大田区体育館でドン・レオ・ジョナサンと対戦。
ヘーシンクは袈裟固めで1本取り判定勝ち。
第3弾は75年1月25日、横浜文化体育館でのカリプス・ハリケーン戦でハリケーンはマスク姿に柔道着という後に猪木と対戦するミスターXばりの「覆面柔道家」スタイル。
ハリケーンの姿はどう見ても漫画で滑稽に映りましたが、最後はヘーシンクの膠着した試合ぶりに怒ったか、マスクに凶器を入れてのヘッドバット。
これで反則負けとなりましたが試合としては盛り上がりに欠けてしまい失敗でした。
馬場もこれはあかんとみたか柔道ジャケットマッチはこれにて終了となりました。
お荷物となっていたヘーシンクですが75年7月のサマー・アクション・シリーズで馬場、鶴田との軋轢がリング上で生じました。
7月5日、流山市文化会館の開幕戦(テレビ生中継)のメインイベント、馬場、ヘーシンク組vsボビー・ダンカン、リッキー・ギブソン組のタッグマッチ。
1本目は5分9秒に馬場がアトミックドロップからギブソンを体固め、2本目は2分22秒に日本組の反則勝ちとなりましたが、ヘーシンクは度々馬場の指示についていけず、試合後、何やらヘーシンクに言い寄った馬場に対しヘーシンクは両手を広げて「わからない」のジェスチャー。不協和音が発生しました。
7月9日、大阪府立体育会館のセミファイナル、馬場、鶴田、ヘーシンク組vsダンカン、ギブソン、ボブ・レムス(後のサージェント・スローター、この75年1月に国際プロレスにボビー・スローターとして初来日)組の6人タッグマッチ(45分3本勝負)
1本目は7分19秒に馬場がレムスを体固め、2本目は2分15秒に鶴田がギブソンを体固め。
馬場、鶴田はヘーシンクがしょっぱいからと試合に絡ませず、自分達だけでサッとフォールを奪って試合を終わらせてしまいました。
試合後、馬場がまたヘーシンクに注文、ヘーシンクは前週の流山と同じく両手を広げて「わからない」のポーズ。
馬場からしてみたら、いつまで経ってもプロレスが上達しないヘーシンクに苛立ちを感じていたかと思われます。
鶴田も馬場の側に立ってしまい、ヘーシンクは馬場と鶴田の板挟みに遇ってしまいました。
このシリーズのプロレス熱戦譜を見ると、この後のシリーズ最終戦、7月25日、日大講堂(馬場vsフリッツ・フォン・エリックのテキサスデスマッチがメイン)まで、馬場とヘーシンクは2回しかタッグを組んでおらず、おそらくメイン路線からは外されたと思います。
しかし、日本テレビからの大事な「預かり物」であるヘーシンクを切る訳にもいかず、契約(おそらく3年)までは使わなければいけなかったのでした。
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