国際プロレスの日本リーグ争覇戦決勝トーナメントは78年11月26日、久慈市民体育館でミスター・サクラダとプロフェッサー・タナカが対戦。タナカの凶器攻撃に怒ったサクラダが凶器を奪い取って反撃、さらに制止に入ったレフェリーにも暴行を加え、14分30秒にタナカが反則勝ちで準決勝へ進出。
この日のメインイベントはラッシャー木村、グレート草津、マイティ井上の最強トリオが鶴田、大熊元司、ミスター・ヒト組と対戦しています。
通常のシリーズでR木村、草津、M井上の3人が組むことは滅多にありません。
1本目はM井上がヒトを体固め、2本目はヒトがM井上を体固め。決勝の3本目は両チームリングアウトになっています。
11月27日、黒石市スポーツセンターではディーン・ホーと石川孝志が対戦。場外にホーを落とした石川はホーをヘッドロックに捕らえ鉄柱へ一直線。しかしホーがこれをかわして石川は鉄柱に自爆。その間にホーはリングイン、15分21秒にホーがリングアウト勝ちで準決勝進出しています。
日系人(タナカは偽日系人でフィリピン人)の2人が予想通り準決勝に駒を進めました。
大木金太郎が棄権せず決勝トーナメントに出ていたらホーに1回戦でリングアウト負けを喫していたと推測出来ます。
全日本プロレスのリングを主戦場にしていた大木と鶴田が国際プロレスのリングでシングルで対戦し優劣をつけることは馬場が認めないでしょうし、49歳(大木はずっと昭和8年【33年】2月2日生まれとプロフィールに表記しており、実年齢より4歳サバを呼んでいた。実際は昭和4年【29年】2月24日生まれのこの年49歳だった。)、キャリア19年で力道山門下生では馬場、猪木の先輩にあたる大木が37歳、キャリア13年のR木村とシングルで対戦して負けるのも実際はプライドが許さず飲まなかった、と思います。
となるとやはり1回戦でホーにアクシデント的負け(反則、リングアウト)するしか考えにくく、もし対戦したとしたらホーのセコンドにタナカを入れて試合中からチョッカイを出させ、場外乱闘で本格的にタナカを介入させて「カッとなりやすい性格」の大木が怒ってタナカに頭突き、逃げるタナカを深追いしてその間リングに生還していたホーがリングアウト勝ち。
その辺が無難なところだったでしょう。そんなマッチメークだったら大木も日本リーグ争覇戦に出るメリットは全くなく、「プロなら潔くブック飲んで負けて見せろ」というのも確かに一理ありますが、逆に団体所属でなければ吉原社長や国際のマッチメーカーをしていたグレート草津の考えたマッチメークに従う義務もなく、自分の商品価値を下げる試合に出ないというの選択もアリだと考えます。
黒石大会のメインはR木村、アニマル浜口、寺西勇組vs鶴田、サクラダ、グレート小鹿組という国際vs全日本の対抗戦となりました。
1本目は国際組が、2本組は全日組がそれぞれ反則勝ち。3本目はR木村が小鹿を片エビ固めに決めて2-1で国際側の勝利に終わりました。
サクラダはこのシリーズ、アメリカでやっているヒールスタイルで試合に出ていた為、タナカ、ホーの日系人組、ヒト等と一緒にヒールグループに組み入れられていましたが、括りとしては国際vs外敵軍になることもしばしばありました。
また、フリーのミスター・セキ(関川哲夫、ミスター・ポーゴ)が当初エントリーされていましたがスケジュールの都合でキャンセル。代打として韓国・金一道場の梁承揮(後の力抜山)が予選リーグから出場していました。
案の定、決勝トーナメントの1回戦が終わった翌日の11月28日、鶴岡市体育館から大木は「韓国でのスケジュールの都合がつかなかった」として特別参加しています。
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