78年11月1日愛知県体育館メインイベント猪木vsクリス・マルコフのNWFヘビー級選手権試合。
マルコフはパンチ、キック、ストンピングといった単調なラフ攻撃に終始、猪木はマルコフの動きを見切ったか、ジャンピング・ハイキック(延髄斬り)から9年半前と同じ卍固め。
マルコフはたまらずギブアップ。11分41秒、猪木が17度目の防衛に成功しています。この時期の猪木に取ってマルコフはもはや敵ではありませんでした。
シリーズ終了後、猪木は藤原喜明を帯同して11月7日から29日まで、西ドイツのローラン・ボックの招きにより、西ドイツ、オーストリアといった欧州を回る「欧州世界選手権シリーズ」に参加する為に渡欧しています。
この為、11月17日、後楽園ホールで開幕するプレ日本選手権は前半戦を欠場しました。
ボックはこの年の4月20日に新宿・京王プラザホテルで行われたMSGシリーズ開幕戦前夜祭のレセプションに姿を現し、猪木に対戦を要求しています。
ボックは44年生まれの当時34歳。西ドイツではアマレスの強豪として知られ68年のメキシコオリンピックにフリースタイルの代表として出場。
73年に後に新日本プロレスとも親密関係となるプロモーター、ポール・バーガーの推薦でプロレス入り。妥協なきシューターとしてジョージ・ゴーディエンコ、ミル・マスカラスらと対戦。
イギリスの流血王として知られるダニー・リンチの足を折ったとされています。
西ドイツではシュツットガルトを中心にプロモーター業も兼ねていて、自ら主宰するプロモーションの王者であるWWU世界ヘビー級王者を名乗っていました。
海外マット事情に詳しい東京スポーツやゴングもボックに関してはノーマークでそれまでその存在は無名でした。
ボックがMSGシリーズのレセプションに現れたのは「モハメド・アリと闘った」猪木を西ドイツに招聘して興行を打とうとしたことが目的で、猪木が負傷欠場や病欠でないにも関わらず、国内のシリーズを欠場して遠征するからにはそれなりの高額のギャランティが支払われるという話だったからです。
アリ戦で抱えた負債をテレビ朝日に対して返済しなければならなかった猪木はボックの申し出を応諾。ハードな日程を承知の上でヨーロッパ遠征に出発しました。
第1戦は11月7日、西ドイツ・ラーベンスブルグ・オーバーショワルツェン・スタジアムで手の内をよく知っているウィリエム・ルスカと対戦し5回1分33秒、体固めで勝利。(試合は全て4分10ラウンドで行われた)
第2戦は11月8日、西ドイツ・デュッセルドルフ・フィリップスホールでボックと初対戦。猪木のチョップ攻撃で目尻から流血したボックが逆上して暴走、5回3分40秒、猪木の反則勝ち。
第3戦は11月9日、西ドイツ・フランクフルト・フェストホールでヘビー級プロボクサーのカール・ミルデンバーガーと対戦。この試合はワールドプロレスリングの中でも放送されました。
ミルデンバーガーは元世界ランカーの強豪ボクサーで66年にはフランクフルトで当時の世界ヘビー級王者カシアス・クレイ(アリ)の王座に挑戦、12ラウンドTKO負けを喫したものの、その打たれ強さをクレイが称賛したこともありました。
しかし、当時41歳で現役を退いていたこともあってか動きはよくなく、4回1分15秒、猪木が逆エビ固めであっさりギブアップ勝ちを奪っています。
ログインしてコメントを確認・投稿する