77年12月2日に後楽園ホールで開幕した全日本プロレスの世界オープン・タッグ選手権に国際プロレス側はエースのラッシャー木村、グレート草津組、マイティ井上が全日本の高千穂明久と組んで出場させています。
2年前のオープン選手権同様、団体のビッグ3が揃って全日本のリングに上がりました。
全日本との頂上対決となった馬場、鶴田組vsR木村、草津組の対戦は12月10日、仙台・宮城県スポーツセンター(テレビ生中継)で組まれ、鶴田とR木村が激しく張り手の打ち合いでやり合う中、14分30秒、馬場が16文キック2連発から草津を体固めに決めて格の違いを見せ付けました。
12月14日、大阪府立体育会館では全くの初顔合わせとなるインターナショナル・タッグ王者チームの大木金太郎、キム・ドク組と対戦、10分20秒に両チームリングアウトの無得点試合となっています。
R木村、草津組は馬場、鶴田組、ドリーとテリーのザ・ファンクスに負け(フォールを奪われたのは全部草津)、
アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組、大木、ドク組と両リン、ビル・ロビンソン、ホースト・ホフマン組、ザ・デストロイヤー、テキサス・レッド(レッド・バスチェン)組、天龍、ロッキー羽田組、M井上、高千穂組に勝って8点と上位陣には食い込めず。
M井上、高千穂組に関しては天龍、羽田組との時間切れ引き分け1点のみで後は全敗に終わりました。
12月15日、蔵前国技館で行われた最終戦でブッチャー、シーク組に反則勝ちしたザ・ファンクスが14点が最多得点で優勝、馬場、鶴田組は13点で及ばず、ブッチャー、シーク組は12点でした。
金星というか番狂わせもなく、結局、馬場の掌の中で国際勢は噛ませ犬的マッチメークを余儀なくされています。
馬場の考えている序列は自分が一番で、次が鶴田、R木村、大木が横一線、その次がキム・ドクで草津はそれ以下。
M井上はアニマル浜口と同格でグレート小鹿、大熊元司、高千穂、サムソン・クツワダ(新団体の旗揚げに関与し鶴田を誘っていたことが発覚、12月15日、蔵前大会を最後に全日本を解雇された)と同格か仕事は出来るので少し上のポジションと思われます。
この年の全軍対抗戦で鶴田がR木村に負けたのは鶴田の若大将としてのポジションから調整弁的に負けた感が強く、ノーテレビの地方大会なので馬場が国際の要求を飲んだからと思われます。
78年に入ると直ぐに、大木率いる金一道場勢も参戦しての全日本、国際の3団体による日韓三軍対抗戦が行われることになりました。
これは全軍対抗戦を見ていた大木が「是非、ウチも入れて欲しい」と売込をかけたと思われ、外国人抜きでも商売になると馬場が目論み、「三匹目のドジョウ」を狙ったものと推測します。
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