藤波は78年サマー・ファイト・シリーズが終わると、単身アメリカ、メキシコに遠征し、WWWFジュニア・ヘビー級王座防衛戦を積極的に行っています。
以前にも書きましたが、藤波のシリーズオフの海外における活動は、WWWFの名称通り、ワールドワイドな活躍で世界のチャンピオンたること、全日本プロレスと全日本ファンから「藤波は新間がWWWFに頼んで作ってもらった新日本お手盛りの王者、所詮日本ローカル、全日本の海外網には敵わない」と言う批判と揶揄を跳ね返す為でした。
8月4日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで、チャボ・ゲレロの実弟にあたるアーマンド・ゲレロ(マンド・ゲレロという表記の文献も多数あり)の挑戦を受けて防衛戦を敢行。
アーマンドはまだこの時点では未来日、兄チャボと比べると線が細く、試合もまだ藤波がゲームメイキングしている感じで王者は終始余裕のあるファイトぶり。
24分32秒、藤波がジャーマン・スープレックスホールドで快勝。8度目の防衛に成功しています。
40年代から活躍していた伝説のルチャドール、ゴリー・ゲレロを父に持つゲレロ4兄弟は長男チャボ、次男アーマンド、三男ヘクター、四男エディがおり、チャボの息子であるチャビートもチャボ・ゲレロ・ジュニアとしてプロレス入りしている名門ルチャドール一族です。(チャボ・ジュニアがプロレス入りするとチャボはチャボ・ゲレロ・クラシックを名乗った)
この時点ではチャボ・ジュニアは勿論ですが、68年生まれの末弟エディはまだ10歳でプロレス入りしておらず。
4兄弟の中ではチャボとエディが出世頭であり、エディはWWEのモノポリー時代になってからが全盛期だった為か、マーケット事情の違いで一番稼いだかと思われます。
それだけに38歳の若さでの急死は残念でなりません。
アーマンド、ヘクターはいずれも線が細いのと動きの軽さで大成せずに終わってしまいました。
8月5日、この年民放第1号として53年に開局した日本テレビが25周年を迎え、記念番組として「激動!テレビプロレス25年史」が午後8時、全日本プロレス中継の時間帯を使って60分枠で放送されました。
力道山時代からテレビ朝日とは比較にならない程充実したアーカイブを保有していた日本テレビだけに、オープニングは力道山と正力松太郎オーナーの握手という歴史的シーンからスタートし力道山、豊登、馬場といった日本プロレス正統の系譜のエース達による過去の名勝負が放送されました。
やはりどうしても気になるのが他局のエースとなった猪木の扱い。69年5月16日、東京体育館での第11回ワールド・リーグ戦のクリス・マルコフ戦は放送されました。
代表的なところで71年3月2日、蔵前国技館における馬場、猪木組vsミル・マスカラス、スパイロス・アリオン組のインターナショナル・タッグ選手権試合が放送されました。
1本目はマスカラスが猪木をフライング・クロスアタックの連発からダイビング・ボディアタックによる体固めで先制。
2本目は馬場がアリオンをアトミック・ボムズアウェー(ダイビングしての片足フットスタンプ)から体固め。
決勝の3本目は猪木がマスカラスから卍固めでギブアップを奪い馬場、猪木組が防衛しますが、3本目の猪木の卍固めによるフィニッシュシーンは全面カットされました。
他局のエースの猪木のいいところを映す必要はないかも知れませんが、マスカラスはこの番組の後、8月18日、鹿児島県立体育館で開幕するサマー・アクション・シリーズ2に初来日となる実弟のドスカラスを伴っての参戦が決定しており、「新日本プロレスのエース猪木より、マスカラスの方が強い」を印象づける意図があったのは否定出来なかったと思います。
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