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2017年10月04日23:00

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(172)

78年6月9日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムのリングに剛竜馬を伴って現れたヒロ・マツダは、「剛竜馬はマイク・ラーベルと契約した」とコメントしています。

もちろんこれは表向きで、新日本プロレスと親密関係にあったロサンゼルスのプロモーターでもあるラーベルの名前をダミーに使ったに過ぎず、剛はラーベルと契約し、ラーベルのブッキングで新日本プロレスのリングに外国人枠として登場するというギミックでした。

いずれにしてもプロレスの世界の引き抜き、移籍の類いで、契約問題で希望するリングに上がれなかった、というのは先ずなく、「やったもん勝ち」の世界でした。

剛竜馬を応援すべく、竹内宏介氏が編集長を務めていたゴング誌でアルバイトをしていた山口雄介(ウォーリー山口、当時上智大学在学中)が中心となって結成されていたファングループ、「ザ・マニアックス」がゴング誌上で剛竜馬応援団を募集。

ファン有志による剛竜馬応援団が結成され、また、後に週刊ゴング編集長を務めた小佐野景浩(当時、高校2年生)が主宰していた新日本プロレスファンクラブ(私設)「炎のファイター」が中心となって藤波辰巳応援団を結成、当時、藤波のファンクラブ「炎の飛龍」も存在していましたが、藤波の凱旋帰国がこの年の3月ということもあり、連合していたかと思われます。ファンクラブ同士の応援合戦が展開されました。

後押ししたのは竹内氏で、そういったことには寛容だった新間寿営業本部長が「やれ!」と話に乗り、日本武道館の2階席後方の自由席を両応援団の為に解放。

さらには剛の入場時、一部のファンが作った騎馬に乗って剛が入場してくるなど、昭和らしくファンと団体の距離が近かった時代でした。

同じような手法は前77年3月11日、全日本プロレスの日大講堂大会でも見られ、後の週刊ゴング編集長、ドクトル・ルチャこと清水勉が会長を務めていたミル・マスカラスファンクラブ「エル・アミーゴ」(旧悪魔仮面)の主要メンバーがマスカラスの入場時、騎馬を作ってマスカラスを入場させていた実績がありました。

竹内氏の言うことは新日本も全日本も受け入れていました。

さてリング上は剛が応援団の作った騎馬に乗って入場。新しいジャンパーのコスチューム、セコンドには赤いポロシャツに白のズボンのマツダ。

マツダが新日本のリングに足を踏み入れるのはこれが初めて。

剛はコスチュームを脱いで臨戦体勢、白のタイツに黄色いタオルを首からかけています。肌は小麦色に日焼けし、身体つきは絞まったイメージでした。

ワールドプロレスリング、実況は三浦智和アナ、解説は桜井さんです。

三浦アナ「今、チャンピオンの藤波の入場を待っているところです。あっ、今WWWFジュニア・ヘビー級チャンピオンの藤波辰巳が入場して来ました。」

続いて王者、藤波がドラゴン・スープレックスのテーマ曲に乗って入場、藤波は騎馬ではなく花道を走っての入場でしたが、応援団が先導していました。

桜井さん「大変な歓声ですねぇ、ファンの若さに溢れる動きと言うか、こういう雰囲気はいいですねぇ!」

三浦アナ「今日はチャンピオンの藤波、チャレンジャーの剛共に応援の方もファンクラブが統一して行い、100人位の応援団が来ております」

桜井さん「これが皆、若い人達ばかりなんですよね!」

応援団の背景についてはテレビでは触れられていないものの、桜井さんも可愛い弟分である竹内氏の仕掛けにご満悦なのが解説を通じて伝わって来ました。
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