78年5月31日、岐阜市民センターでは夢のカードが組まれました。
WWWFヘビー級王者のボブ・バックランドとアンドレ・ザ・ジャイアントがアメリカでも見ることが出来ないタッグチームを結成、猪木、坂口組の黄金コンビと対戦しています。
試合は60分3本勝負で行われ、1本目は16分33秒、坂口とアンドレが両者リングアウト。2本目は2分52秒にアンドレが坂口をジャイアント・プレスからの体固めでフォールしバックランド、アンドレ組が2-1で勝利を収めました。
ノーテレビだったのが惜しまれます。
シリーズ最終戦6月1日、日本武道館ではWWWFヘビー級王者バックランドとNWFヘビー級王者猪木が互いにのベルトを賭けてのダブルタイトルマッチで対戦。
猪木は新日本プロレス旗揚げ以来、カール・ゴッチ、ルー・テーズ、ビル・ロビンソン以外の正統派テクニシャン系大物外国人選手との対戦が少なく、バックランド戦はファン待望のカードだったと言えます。
日本プロレス時代に名勝負を展開したドリー・ファンク・ジュニア、ジャック・ブリスコが分裂後は馬場の全日本プロレスのレギュラーメンバーとなり、また75年12月11日、蔵前国技館で歴史に残る名勝負をしたたロビンソンもその半年後には全日本に引き抜かれて行ってしまい、ゴッチ、テーズはセミリタイア状態にあったことから、当時29歳のバックランドは猪木の新しい若きライバルとして久しぶりに現れたテクニシャンタイプのレスラーかと思われました。
私はこの試合、会場で生観戦していますが、ニューヨークという地盤がそうさせたのかはわかりませんが、実際のバックランドはパワーファイターでした。
ブルーノ・サンマルチノ、スーパースター・ビリー・グラハムと続いたWWWFヘビー級王者の正統の系譜はバックランドをしてもパワーファイターに変貌させていきました。
要するに、大味なレスリングでないとニューヨークの観客には受けない。バックランドが王者になる前に主戦場にしていたミズーリとは観客の気質が明らかに違いました。
バックランドはどちらかと言えばゴッチタイプ、猪木はテーズタイプと言ってよく、剛のバックランドに柔の猪木のイメージでした。
試合は61分3本勝負。猪木のキーロックを強引にリフトアップしてコーナーポストに運ぶなどバックランドは怪力ぶりをいかんなく発揮。
途中、猪木が不意打ち気味に放ったヘッドバットがバックランドの顔面に命中、鼻血を出しての戦いとなりました。
1本目は場外で猪木がバックドロップ。リングにかけ上がり、バックランドは鼻血で呼吸が不十分なのと後頭部を打ったダメージから起き上がれず、40分8秒、猪木のリングアウト勝ち。
2本目開始時点で残り試合時間は20分弱、1本目がリングアウト決着の為、猪木は後1本、フォールかギブアップを取らないと王座は奪えません。
初挑戦でベルトを奪おうと畳み掛ける猪木は卍固め。しかし、これは腰高になってしまい、バックランドは猪木に卍をかけられながらも懸命に立ち歩きでロープエスケープ。
61分時間切れとなりスコアの上では猪木が1-0で勝ちましたが、王座移動はなし。共にタイトル防衛に成功しています。(猪木は14度目)
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