78年MSGシリーズはこの年から新日本プロレスで採用された、○フォール、ギブアップ勝ち5点、☆リングアウト勝ち、◇反則勝ち各4点、□不戦勝5点、△あらゆる引き分け2点、●★◆■あらゆる負け0点、▲無効試合、没収試合0点、という得点方法で行われました。
全日本プロレスと比べると計算方法が解り辛く、あまりファンに馴染んではいませんでしたが、新日本は年度により若干得点配分の差違はありましたが、89年11月に行われたワールドカップ争奪リーグ戦辺りまでこの得点形式を採用し続けました。
その割には、と言っては何ですがこの時代の新日本プロレスのリーグ戦は81年第2回MSGタッグ・リーグ戦、83年IWGP決勝などの例外を除いては優勝決定戦の組合せや結果は順当なものが多く、意外性や波乱は少なくスリルに欠けたものが多かったと思います。
決勝リーグ戦初日となった5月11日、福岡九電記念体育館では猪木がアンドレ・ザ・ジャイアントといきなり頂上対決。
アンドレの倒れ込んでのダイビング(トップロープからではない)・ヘッドバットを左肩口に受けて肩を負傷した猪木がリング下に転落、そのまま起き上がれず17分24秒、リングアウト負けで黒星スタート。
地元の坂口は上田馬之助と公式戦外でシングル対決を行い、ノーコンテストとなっています。
5月17日、宇都宮・栃木県体育館では猪木は長州と初対戦、8分43秒、コブラツイストで貫禄勝ち。この時期はまだまだ力の差が大きかったです。
5月18日、酒田市営体育館では後の「名勝負数え唄」となる藤波と長州が初対決。藤波が13分29秒、回転足折り固めでフォール勝ち。
この日はバクジー・マグローとニコリ・ボルコフの2番手外国人同士の対戦が行われ、マグローが9分11秒、体固めでフォール勝ち。
5月19日、仙台・宮城県スポーツセンターでは猪木が上田と2月8日、日本武道館でのネイル・デスマッチ以来のシングル対決で11分55秒、反則勝ち。
藤波はニコリ・ボルコフを回転エビ固めで撃破。
5月20日、秋田県立体育館では猪木と藤波の初の師弟対決が行われました。ノーテレビだったのが惜しまれますが、猪木が11分43秒、久しぶりに見せたジャーマン・スープレックスホールドでフォール勝ち。
猪木のジャーマンでのフィニッシュは75年4月11日、福島・会津若松市体育館での第2回ワールド・リーグ戦の公式戦の星野勘太郎戦以来実に3年ぶりのことでした。
「首を痛めてジャーマンが出来なくなっていた」猪木のジャーマンでのフィニッシュにファンは歓喜しました。
ボルコフに公式戦で勝って参加外国人メンバーの中で2番手となったBマグローがこの日アンドレと対戦しましたが僅か3分25秒、ジャイアント・プレスの餌食となってしまいました。
翌年スタン・ハンセンが現れるまではアンドレと他の外国人選手の実力の壁は大き過ぎました。
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