舟橋アナ「先程のセミファイナルで行われました藤波と上田の一戦は、結果は藤波の反則勝ちでありましたが、体力的には6対4で上田有利、この猪木vs坂口戦は五分と五分、という見方ができますかね」
桜井さん「そうですねぇ、今までの対戦では猪木君の勝利にしても本当にどちらが勝つかわからない上での一瞬の勝利でしたからねぇ」
猪木、テイクダウンから坂口の足を取って裏返しにしてリバースのインディアン・デスロック。
舟橋アナ「猪木と坂口ですが、坂口が(昭和)42年に日本プロレスに入団してから、様々な因縁を持っています。坂口が4年間に亘るアメリカ修行から帰国し、ドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級のベルトに挑戦したことがありましたが(71年12月9日、大阪府立体育会館)、この時猪木は欠場していましてねぇ」
桜井さん「まぁ、あのぉ〜、この両者は本当に様々な因縁を持ってますねぇ」
舟橋アナ「猪木がUN(王座)を持てば、奇しくも坂口もUNのベルトを巻くという因縁もあります」
猪木はインディアン・デスロックを外すと坂口の身体の向きを変えて、「坂口戦では必ず出す」と言われている足4の字固め。ロープへ逃れる坂口、猪木はアリキック、ダウンする坂口。
両者再びリング中央でロックアップ、坂口は猪木をコーナーに詰めてニーリフト、チョップ連打、フライングメイヤーからスリーパーホールド。
桜井さん「アナコンダ殺法のマーク・ルーインも坂口のスリーパーが世界一である、と言ってましたねぇ」
本当か!?
日本では「世界3大スリーパーホールドの使い手」としてルーイン、バーン・ガニアと坂口を同列に扱っていますが、実際にガニア、ルーインと坂口の間にはかなりの差があると思います。
柔道日本一だった坂口が本格的にスリーパーをフィニッシュホールドとして大事に使っていれば話は別ですが、坂口がスリーパーで試合を決めたと言えば70年5月19日、日本プロレスの第12回ワールド・リーグ戦で、214cm、180kgの怪物、マスクマンのザ・コンビクト(スタン・フレイザー、80年代後半には農夫ギミックのアンクル・エルマーとしてWWFで素顔で活躍)を8分8秒、スリーパーで絞め落とした位でした。
ルーインとは坂口のアメリカ修行時代にデトロイトで接点があった可能性もなきにしもあらず、ですが、日本では全日本プロレス以外に上がったことがなかった(この時点で)ルーインがライバル団体の坂口のスリーパーを「世界一」などと持ち上げないといけない義理はどこにもなく、おそらく桜井さんの創作かと思われます。
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