78年4月21日、蔵前国技館において第1回MSGシリーズが開幕しました。前回3月30日の蔵前で起きた「カネック敵前逃亡事件」のお詫びとして、
3月30日の蔵前大会の半券を窓口に持って来た観客については当日券を半額にするという措置が取られています。(有利入場者に限る)
この辺のファンサービスは流石に行き届いていましたが、プレイガイドの前売チケット購入者にはどのように対応したかは不明です。
また、記念品として参加選手の顔写真入りの特大鉛筆が入場者全員に配られています。
入場セレモニーには立会人としてWWWF代表、キャピタル・レスリング・コーポレーション代表取締役であるビンス・マクマホン・シニアが来日し認定宣言を読み上げています。
この日行われたトーナメント1回戦は3試合。テレビ中継に入る前に行われた山本小鉄とバクジー・マグローの一戦は5分38秒、マグローが豪快なダブルアーム・スープレックスからの体固めで勝利。
マグローは72年3月の日本プロレス第14回ワールド・リーグ戦にマイティ・ブルータスのリングネームで初来日。
74年3月にはザ・ブルートの名前で国際プロレスに参戦しジム・ブランゼルと組んで3月31日、釧路市厚生年金体育館では金網デスマッチでラッシャー木村、グレート草津組のIWA世界タッグ王座に挑戦しています。
WWWFには75年に登場、リングネームをバクジー・マグローに変え、9月6日、MSGのリングでブルーノ・サンマルチノのWWWFヘビー級王座に初挑戦し敗れましたが大型ラフ&パワーファイターとしてトップに定着しています。
アンドレ・ザ・ジャイアント(5月11日、福岡九電記念体育館から参加)が来るまではニコリ・ボルコフと共に外国人側のエース格でありました。
セミファイナルには藤波と上田のトーナメント1回戦。3月30日、蔵前でのカネック敵前逃亡事件の日に藤波を襲撃して両者には遺恨が生じています。
上田も2月8日、日本武道館で行われた猪木とのネイル(五寸釘)デスマッチで猪木に左腕を脱臼させられて以来の新日本のリング登場。
この日から藤波の入場テーマ曲としてJOEなるグループが演奏する「ドラゴン・スープレックス」が会場使用されました。
新日本プロレスとしては猪木の「炎のファイター」に次ぐテーマ曲発売であり、今回は初のオリジナル音源によるもの。新日本の藤波売り出しがいかに力が入っていたかがわかります。
試合は藤波が場外に落ちた上田めがけドラゴンロケットを見舞っていきましたが、上田は本部席のゴングを持ってこれを迎撃。
藤波は額から大流血、試合は上田の反則攻撃の前に防戦一方となりましたが上田の暴走により4分2秒、反則勝ち。
2回戦進出を決めましたが、若手に担がれて退場し手痛いダメージを受けています。
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