カネック敵前逃亡事件の中で最も私が主たる原因だと考えられるのが、藤波とカネックのWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合が「途中から」マスカラ・コントラ・カベジェラ(敗者覆面剥ぎ&髪切りマッチ)とすることが新日本プロレスから発表されたことです。
マスカラ・コントラ・カベジェラ戦はメキシコでは普段から遺恨精算マッチによく使われ、マスクマンは負けたら素顔を晒しリングアナウンサーから本名とキャリアを公表され、素顔のレスラーはリング上で床屋がバリカンで頭を丸刈りに刈られてしまいます。
メキシコには同じくマスカラ・コントラ・マスカラ(敗者覆面剥ぎ)、カベジェラ・コントラ・カベジェラ(敗者髪切り)も決着戦としてよく行われています。
この時期の「直前直後」に日本でマスカラ・コントラ・マスカラで試合が行われたのはいずれも全日本プロレスのリングで、マスカラ・コントラ・カベジェラはありません。
1つはメキシカンに全く関係ないザ・デストロイヤー覆面世界一決定戦十番勝負最終戦、76年8月28日、日大講堂vsスーパー・デストロイヤー戦(USヘビー級選手権試合)で負けたスーパーがマスクを自ら脱いでドン・ジャーデンの素顔を晒しています。
しかしスーパーは本名のサニー・クーパーを始め、素顔のジャーデン、髭面の革手袋スタイルのザ・ブッチャー(アブドーラではない。ブッチャーとは『屠殺人』の意)として素顔で69年8月に日本プロレスに来ております。(8月10日、田園コロシアムで馬場のインターナショナル王座に挑戦し2-1で敗れる。)
また、もう1つのマスクマン、ザ・スポイラーとしても試合をしており、72年12月18日、ニューヨークMSGでこの日がMSG初登場となるミル・マスカラスの対戦相手を勤めています。(ダイビング・ボディアタックで敗戦)
ニューヨーク州アスレチックコミッショナーの規制が厳しかったこの時代のMSGは興行会社の思惑とは別に「覆面レスラーの出場禁止」というルールがあり、そんな条件を飲む訳ないマスカラスはマスク着用で特例扱いで出場。
スポイラーはマスクを脱いで素顔で試合をしました。なのでスーパーは純然たるマスクマンではなく、日本で素顔を晒したところで全く大勢に影響はなく、翌77年4月の第5回チャンピオン・カーニバルには普通にマスクを被って来日しています。
もう1つはカネック敵前逃亡事件より5か月半後に行われた78年9月13日、愛知県体育館でのマスカラスvsエル・ハルコンのメキシカン同士の一戦。(ALLLヘビー級選手権試合)
8月31日に大阪府立体育会館で行われた同選手権試合の第1戦では、3本目にエキサイトしたハルコンがマスカラスのマスクに手をかけて、口の部分を引き裂いて反則負け。
両者収まりがつかず、名古屋でマスカラ戦で再戦となりました。この時は時間無制限1本勝負でマスカラスが僅か4分38秒、弓矢式背骨折りで勝利。敗者ハルコンはマスクを脱いでいます。
しかし実はこの2人前77年7月29日、アレナメヒコでマスカラ戦で対戦し2-1でマスカラスが勝ち、ハルコンはマスクを脱いでおり、ハルコンはそれ以降は素顔で試合をしており、日本に呼ばれるに当たり、マスクを被って来日しただけでした。
この2試合はいずれも「なんちゃってマスカラ戦」であり、実際にマスクマンとしてのキャリアを終わらせるような緊迫感は実はなかったものです。
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