藤波は大垣でのカネック戦を終えるとビッグ・ファイト・シリーズを一時欠場してアメリカに出発、78年3月20日、ニューヨークMSGのリングに3度登場しました。
以前にも書きましたが、全日本プロレスと全日本プロレスのファンに「新間がビンス(シニア)に頼んでジュニア・ヘビー級ベルトを復活させてもらい、日本に持って来ただけ、名前はWWWFだが実際は新日本認定のベルトだろう」(本当は間違っていない)と痛烈に皮肉を言われるのを回避すべく、「米国でも必要とされるチャンピオン」像を演出すべく、このようなハードスケジュールを藤波は強いられました。
MSGで藤波を挑戦者として待っていたのはジプシー・フランク・ロドリゲス。プエルトリコ出身のヒスパニック系レスラーであり体型は小柄ながらどう見てもヘビー級。
MSGでの実績はなく、前回2月19日、同所で対戦したテッド・アダムスと同様、テレビマッチ専門のジョバーかと推測されます。
試合はロドリゲスが藤波の素早い動きについてはいけず、8分45秒、藤波がジャパニーズ・レッグロールクラッチホールド(回転足折り固め)でブリッジに移行する前のエビ固めで3カウントが入ってしまい、藤波が3度目の王座防衛を果たしています。
アメリカのテリトリーの中でも、大型選手が多いことで知られるWWWFのある東部地区一帯はジュニア・ヘビー級の人材がいないことは確かで、MSG3戦目にして早くも挑戦者不足に陥ることになりました。
藤波もロドリゲスの「できなさ加減」にはイラついていたようで対戦相手への不満を口にしています。
この日、シリーズを欠場してWWWF地区に遠征していた坂口がMSGに初登場。
坂口は67年に柔道界から日本プロレス入りした時にカール・ゴッチをトレーナーに付けて渡米武者修行に出発、日本プロレスと親密な関係にあったカリフォルニア地区でデビュー、その後はミシガン州デトロイト等で試合をしていましたが、メジャーテリトリーでの実績はほとんどありません。
あくまで、坂口の遠征はモハメド・アリ戦で新日本プロレスが背負った巨額の負債を返済すべく促進していた異種格闘技路線と海外遠征路線を新日本の副社長として遂行していたに過ぎませんでした。
よってこの日の坂口の対戦相手も日本から連れてきたと思われるやはりMSG初登場のウィリエム・ルスカとの柔道ジャケットマッチでした。
試合は荒れた展開となり、両者共、柔道着の上着を脱いで上半身裸になっての完全なプロレスの試合となり、10分45秒、ルスカが柔道着の帯で坂口の首を絞めての反則負け。
この日のメインイベントは新WWWFヘビー級王者となったボブ・バックランドが前王者スーパースター・ビリー・グラハムとリターンマッチを行いました。
バックランドは王座に就いてから僅か3日後の2月23日、フロリダ州ジャクソンビル・オーデトリアムでのエディ・グラハム主催興行でNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスと早くもNWA世界ヘビー級、WWWFヘビー級のダブルタイトルマッチを行い、1-1から60分時間切れ引き分けとなっています。
早くもビンス・シニア、サム・マソニック、Eグラハムによるバック・トゥ・ザ・レスリングプロジェクトがスタートした訳です。
さてこの日の試合では王座返り咲きを狙うグラハムがラフファイトでバックランドを追い込み、バックランドは額から流血。18分31秒、出血多量によるドクターストップ負けをしていますがルールによりベルトの移動はありませんでした。
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