上田馬之助と言えば技もなく、ラフファイト一辺倒のイメージが強いですが、実際に日本プロレス時代はセメント(ガチンコに似た意)の強さでは定評がありました。
62年、若手だけのリーグ戦、東スポ賞が欠けられた「関西の牙」に出場、腕固めだけで優勝してしまったというエピソードがあります。
リング下に逃げ場のないネイル・デスマッチではリング上の攻防が否応なしに注目されることとなり、上田の隠れたシュートの実力を見せてくれるのではないかというのが桜井さんの指摘です。
桜井さん「まぁあの〜、上田君が猪木君に挑戦したのは3年前ですからねぇ、今日はハッキリと決着をつけてもらいたいですねぇ」
上田のセコンドについたタイガー・ジェット・シンは釘板の外に陣取り、試合を観戦、ここで外国人側サイドの山崎正アナからリポートが入りました。
山崎アナ「放送席の舟橋さん、タイガー・ジェット・シンですがねぇ、先程山本小鉄に『今日はリングに上がったり、試合に乱入したりしないからここにいさせてくれ』と言っていました」
散々、ジョバーとして痛め付けて来た小鉄にシンが懇願している姿はある意味珍しいと言えます。
試合開始のゴングが鳴りました。時間無制限1本勝負。
舟橋アナ「この試合、勝者に高額な賞金が賭けられましたが。」
桜井さん「そうですねぇ、私は技と技、力と力で勝負して欲しいですね。(リングの)下ではやって欲しくない」
両者しばらくリング中央で睨み合い。なかなか組もうとしない、やはり互いの出方を伺っているような感じです。
猪木が上田のバックを取りに行きましたが上田は素早く体を入れ換えて腕を取ってリストロック。普段は動きが緩慢な上田が物凄いスピードを見せました。観客席からは大きなどよめきが。
桜井さん「今ねぇ、猪木君がバックに回ったのをかわしてリストロックに持っていったあたりは素晴らしいですねぇ!」
舟橋アナ「アントニオ猪木、ジャイアント馬場、マンモス鈴木の直ぐ後に上田が(日本プロレスに)入って来たんですよね!?」
桜井さん「そうですねぇ、ほとんど一緒に入って来ているんですがねぇ、この人は相撲を経験してから入って来てるんですね」
上田は大相撲間垣部屋から60年に日本プロレス入り。本来なら猪木、馬場より少しだけ先輩にあたるはずでした。
しかし家族や親方の反対に合って間垣部屋に連れ戻された経緯があり、再び相撲を辞めて再入門。その時は馬場、猪木が入門した後で、2人は上田にとっては兄弟子になってしまった訳です。
このように一旦は入門しながらも怪我もしくは家庭の事情で辞めてから再入門したという例は珍しくありません。
全日本プロレスの渕正信は北九州の高校を出た72年に旗揚げ間もない全日本に入門しましたが父親の病気で一度は辞めて北九州に帰りました。馬場に「お前、いつでも戻って来い」と言われていたこともあり、73年に再入門を果たしています。
再入門した時には既に大仁田厚が入門しており、渕は生え抜き第1号ではなくなっていました。
新日本の後藤洋央紀も入門は中邑真輔、田口隆佑等と同じく02年に木村健悟スカウト部長により新日に入りましたが怪我の為退団→再入門となっています。
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