77年11月18日、松阪市総合体育館からついにグレート・アントニオが試合に参戦。
星野勘太郎、木村健吾(この年8月の闘魂シリーズから木村たかし→健吾に改名)、永源遥の3人との1対3変則タッグマッチを行い、2分43秒にフライング・ボディプレスで永源をフォール。
変則タッグマッチは後に猪木がラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の国際軍団と試合をして話題になりましたが当時はマクガイヤー・ブラザーズ等イロモノ的要素が強いレスラー用として組まれることが多かったです。
とはいえ、アンドレ・ザ・ジャイアントやスタン・ハンセンら実力者も新日本のリングで変則タッグマッチをやっており、強さをアピールするデモンストレーション的意味合いの強いルールでした。
セミファイナルはこの日より参戦のウィリエム・ルスカがストロング小林とシングルで対戦し反則負け。
メインイベントはこれもこの日からの特別参加となるサンフランシスコの帝王パット・パターソンがスティーブ・ライトと組んで猪木、木戸修組と激突。
12月1日、大阪府立体育会館で猪木のNWFヘビー級王座に挑戦が決定しているパターソンが好調ぶりを見せつけ、1、2本目とも木戸からフォールを奪って2-0のストレート勝ちをしています。
12月1日の大阪で行われた猪木とパターソンのNWFヘビー級選手権試合はじっくりとした白熱の攻防を展開し24分1秒に亘る激闘の末、卍固めで猪木が勝利、11度目の王座防衛に成功しました。
この日アントニオは坂口とシングルマッチで対戦しましたが、ゴング前からアントニオがリング下で坂口を襲撃しそのまま場外乱闘となり、ノーコンテストの裁定が下されました。
両選手1度もリングに上がらず、異例の「試合時間なし」となりました。
さすがにこれではテレビ的には美味くないと判断されたか坂口vsアントニオの試合はテレビ放送されず、長州vsルスカの試合が放送され、ルスカが裸絞めで長州を破っています。
実際にはこのマッチメークは失敗に終わり、大阪の観客発表は5200人(後から7900人に修正されている)と不振でした。
パターソンは興行人気はあまりありませんでしたが超一流の実力者であり、猪木とのタイトル戦は最終戦の12月8日、蔵前国技館でやった方が有終の美を飾ることになったでしょうし、無法乱入を繰り返すアントニオへの制裁マッチはタイトルマッチより遺恨試合、喧嘩マッチが好まれる大阪でやった方が興行としては成功したかと思われます。
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