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2017年07月16日11:06

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(92)

77年10月28日、福生市民体育館で闘魂シリーズ第2弾が開幕。

開幕戦から11月9日、室蘭市体育館までアンドレ・ザ・ジャイアントが特別参加。後半戦11月18日、松阪市総合体育館からパット・パターソン、ウィリエム・ルスカが特別参加。

69年6月の日本プロレス以来の来日となるクルト・フォン・ストロハイム、マスクマンのゴールデン・ファルコン(フランシスコ・フローレス、メキシコUWAの代表を務める人物とは別人)、ヨーロッパから常連のスティーブ・ライト、初来日のマーティン・ジョーンズらがラインナップされました。

アンドレ以外は地味な「華」のないメンバーばかり。79年10月の闘魂シリーズまではこの傾向が強くなります。

79年6月にはモハメド・アリ戦で受けた負債をようやく肩代わり先である新日本プロレスは猪木社長と坂口副社長に会社の実権が戻されましたが、テレ朝の管理下におかれていた3年間は外国人枠予算もかなり削られていたかと思います。

ちなみに10月25日、日本武道館で行われた猪木vsチャック・ウェップナー、坂口vsバッファロー・アレン(アレン・コージ)の格闘技世界一決定戦は翌26日、水曜スペシャルで午後7時30分から90分枠で録画中継されました。

テレ朝は格闘技世界一決定戦は通常のワールドプロレスリングとは別枠で特番放送し、また、海外からの中継も特番を組んでおり、それを放映権料として新日本に入金し、新日本は興行経費を差し引いた分、テレ朝に返済しています。

76〜79年の3年半は猪木、坂口らはシリーズオフには格闘技戦や海外遠征で身を削って試合をし、僅か3年半で7億円とも9億円とも言われた借入金を返済しました。

ちなみに、負債が消えた79年の翌80年には、猪木は長女・寛子ちゃんの通うインターナショナルスクールの同級生の「肉屋」の社長から「猪木さんはブラジルに色々コネをお持ちなようで…」と言う「悪魔の囁き」からバイオテック事業を営む松岡なる人物と出会うことになる訳です。本当に猪木は安定とは無縁の人生を送っています。

開幕戦の福生大会のセミ前、坂口vsゴールデン・ファルコン戦。試合途中で観客席から大きなどよめきが起こると、観客席後方から61年5月、日本プロレスの第3回ワールド・リーグ戦に来日し大きな話題を呼んだカナダの密林王、グレート・アントニオが姿を現しました。

アントニオは初来日の時、神宮外苑で「人を一杯乗せた」バスをチェーンで引っ張って動かすデモンストレーションで国民を驚愕させました。

アントニオ人気で第3回ワールド・リーグ戦は空前の大ヒット興行となりました。

自分1人の人気と誤解、天狗になっていたアントニオは6月2日、蔵前国技館では力道山のインターナショナル王座に挑戦し2-0のストレート負け。この試合は1本目は4分、リングアウト、2本目は1分58秒戦意喪失したアントニオが試合放棄。これはプロモーター、力道山としての制裁マッチかと思います。

当然、他の外国人とも上手くいくはずもなく、アントニオは一緒に来ていたミスターX(ビル・ミラー)、カール・クラウザー(ゴッチ)、アイク・アーキンスといったクセモノ達の反感を買い、控室でリンチにされて途中帰国しています。

その後消息不明となり、死亡説まで流れていたアントニオが実に16年半ぶりに日本に何の前触れもなくやって来ました。
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